二月七日(土)晴れ
 朝めざめて、いつものやうにイヤホーンを耳にあて、スイッチを入れるとビックリ! FM江戸川が突然聞きやすくなつてゐたのであります。いつもは、枕元の一定の箇所において、しかも角度を調整しないと聞くことができなかつたのが、いやあ、よく聞えるのにビックリ。洋楽のインストルメンタル専門の局で、お喋りがないのが最高! 楽しみがさらに増えた感じであります。

ところが、階下に降り、食卓について、これまたビックリ! 朝刊の一面に、「秘密保護法が成立」と、白抜きの大きな文字が躍つてゐるではありませんか。ぼくは、まづ、恥ずかしく思ひました。これは恐れてゐたことで、「内村鑑三」のところで、ちよびつと触れてはみたけれど、何の役にもたたなかつたこと、法案採決の時間、遊んでゐてかまけてしまつたことが恥ずかしい。

「警官は泥棒を捕えるためではなしに、良民を捕えるためのものになった。」 これは、「内村鑑三」のところで引用した、清沢洌『暗黒日記』(一九四三・十一・八)の記録です。デモをテロと言ふくらゐですから、真つ当な事を言ふ者を、「秘密裏に」処分することくらゐ容易なことでせう。覚悟をしなければならないでせうね。それにしても、かつては同様の法律に弾圧された某党が、賛同し、法案成立に手を貸したことが信じられません。要するに、歴史をまつたく学んでゐないといふことなんですね。

しかも、今日のテレビ番組を見ると、扱つてゐる番組は、「秘密保護法の眞實」、「秘密保護法 国民の声届かぬ国会に照美物申す」等、地デジ、BSあはせてたつた5番組だけといふお寒い現実なのであります。あとは、おふざけ番組が、ぼくらを洗脳せんとばかりに、濁流のごとくに押し寄せるこの状態! ただスイッチを切るだけで済む問題ではないと思ふのです。そそもそも、人生は、誰にとつても決しておふざけぢやないんですよね?

さういへば、よく顔を見せてゐた近所の某党の方々が、近頃はまつたく姿を見せません。党首党是を掲げた大きな張り紙も取りかたづけ、ひつそりとしてゐます。後ろめたいのでせうか? いやに、世間が静かです。

ところで、昨晩の「いくいく会」、決して言ひ訳のために言ふわけではないのですが、けつこうまじめなんです。書き残したことの一つは、女性の泉さんが九十七歳のお母様を介護しながらも、勉強してをられ、さらに月一の奥州街道の歩け旅にも参加してゐることです。そして、もう一つは、ベテランの森さんが、ぼくの『歴史紀行』を、司馬遼太郎(「街道を往く」)よりすごいと言つてくれたことです。ただ、ぼくは、『街道を往く』をほとんど読んでゐないので、比べやうもありません。ぼくが志してゐるのは、ぼく自身の関心から決して離れないことです。ときには、「自分史」を書いてゐるやうでもあるのです。ただ知識を知りたければ、本を読めばわかることです。その点で、多くの「ガイドブック」に限界を感じてゐたので、いきほひ、感想文まがひになつてゐるところは否めません。もちろん、ぼくのやうなわけのわからんやつの「関心」を通して歴史を見たくない、と言はれてしまへば、かへす言葉はありませんです。はい。

今日の写真:山の家の庭で憩ふラム。あとで我が家の娘になる切つ掛けとなつた、犬大好き人間の義父(我妻の父)とラム。それに、原つぱで獲物を狙ふラムの三枚です。ラムの顔を見てゐるのが一番の安らぎとなつてしまひました!(前ページ左三枚)