十二月十一日(水) 晴れ

 だいぶ頭にきた! メールアドレスがどうして分類分けができないんだらう? ウインドウズ7の場合はすぐできて活用してきたのに、ウインドウズ8にしてからはできないのである。だから、8で書いた『中仙道を歩く』の原稿を、7にコピーして、それで、ワード版の方とパワーポイント版の方とを分けて送るしかなかつたのだ。そんな理不尽なこと!

今日は、明日の準備で忙しいのに、思ひあまつて秋葉原のヨドバシカメラに出向き、大人げなかつたが、店員に「新しい機種がどうして古い機種より不便で使ひにくいのか!」と、多少は演技もあつたが、言ひ寄つてしまつた。何とかかんとか言はれ、コピーしたものを持つてきて説明してくれました。が、もともとパソコン音痴(?)のぼくにはよくわからない。でも、これを読めばわかるのですね、と言つて引きさがつてあげました。まあ、大人ですからね。

そこで、念のため、書籍売り場に行き、あれこれ選んだ末、『すぐわかるOutlook2013』を求めました。でもね、今までも、一発で「すぐ」に分かつた事なんかないんですよね。

一応、声をちよびつと荒げてしまつたので、なんとなく侘しくなつてしまひ、まつすぐ帰るのもなんなので、総武線に飛び乗つてしまひました。本八幡駅乗り換へ、京成八幡経由で帰らうと思ひ立つたからです。もちろん、ただでは起きません。京成八幡駅には、山本書店があるのです。ここには、意識してたまに訪ねます。今日は、高価でいつもはパスしてゐた、櫻井徳太郎著『神仏交渉史研究』が、破格な値段で並んでゐたんです。もう即買ひですね。狙つてゐた獲物を捕獲した気分です。それとです、『入木抄』を見つけたんです。以前、やはりここで『夜鶴庭訓抄』を手に入れ、昔から素晴らしい「書論」があるんだなあと思つてゐたのです。うれしかつたのは、『入木抄』、尊円親王が若い後光厳天皇のために書いた「書論」なんですが、原文がけつこう読めてしまつたのであります。古文書のお勉強、むだではなかつたです。実力を試された感じです。もう、気分も回復し、いい顔して帰宅できました。

 

《伊豆の山暮し》その三

大工さんとは、それからファックスをやりとりし、ぼくの構想を伝へ、たまには現地におもむいて、次の年(一九九四年)の四月には入居できることになりました。

うれしかつたのは、薪ストーブです。まだ四月は寒く、毎日朝から焚いては、そのそばに寝転んで悦に入つてゐました。いや、それだけではありませんでした。ロフト付の書斎には、囲炉裏を造つたのです。

ぼくは、横浜にゐるころから庭で焚火をし、学校帰りの子どもたちとお芋を焼いて食べたりしてゐました。そのうち、自分で持つてくる子もゐて、恐縮してしまひました。焚火が何より好きなんです。ところが、隣のぢい様からお咎めがあり、だんだん回数は少なくなりました。それも風向きによつてでしたが、そのぢい様のお嫁さんとその子、つまり孫も焚火をして楽しんでゐたことは、知つてゐたんでせうか。聞いておけばよかつた。

焚火の煙は、燃やす木の種類によつて、匂ひ(まあ、香とはいいませんが?)それぞれ違ふのです。ぼくの好みは、断然「桑」ですね。桜もいい匂ひですが、奥深さといふか、郷愁を誘ふ力は、なんといつても桑です。ぼくの母の生家が、群馬県の高崎であることは、もう何回となく『歴史紀行』で書いてゐますが、養蚕農家でしたから、葉を蚕に与へたあとの枝は、束にして、風呂焚きや煮炊きに使ふのです。それが台所はもちろん、部屋のはうへも流れてきて、それはもう温かい気持ちになつたものです。(つづく・・)

 

今日の写真:伊豆の山の家とラム。養蚕風景、母の姉の嫁ぎ先の家での貴重な写真。ラムを背景に、『入木抄』を手にする。(次ページ、右三枚)