十二月十三日(金) 晴れ

今日は寝坊してしまひました。といふより、疲れで寝込んでしまつたといつたはうがよいかも知れません。起きたのは昼一二時半だつたのです。前日よく眠れないまま街道を歩く旅に参加したためだらうと思ひます。

食後は、夕方まで、昨日撮つた写真の整理を行ひました。楽しい作業なんですが、この六月に購入したW8(文書を書くために20型ワイド画面付)ではなく、三年前に求めたW7(持ち運びも考への10型)のはうで行ひました。選別に続く加工作業(特にサイズ変更)が、W8ではできないからです。思ひ起こせば、このサイズ変更についても、購入した店に行き、また店員に勧められた『できるフォトショップ・エレメンツ11』を読んで調べたんですが、不可能であつたのです。何故新機種のはうが退化してゐるのか、その時から疑つてゐたのであります。それで、一昨日の醜態を引き起こしてしまつたわけでした。「責任者出てこい!」と言ひたいです。

選別が終らないまま時間になつたので、夕方、立石の中華料理屋にいそぎました。「月曜会」が行はれる予定だつたのです。

弓道仲間三人が、指導してくださる先生に感謝の気持ちをつたへるために、年に数回行つてゐる会食です。先生とぼくは生ビールの小で十分なんですが、あとの二人は底がないほどの飲兵衛! まあ、お付き合ひしながら、あれこれ言ひたいはうだい。

地域調査の心得は、大きな立派な家が目立つ地域は貧乏であり、反対に、同じ様な家が並ぶ地域は豊かな地域なんだ、とか、硫黄島の一万何千体もの遺骨を回収もせず何が靖国神社だとか、「手ぐすねを引く」も「ふつつか者」も「かけがへの無い」も、弓道から出た言葉であることなどなど、あつといふ間の三時間でした。先生がお礼にと、李白の詩にちなんだ詩吟を声高らかに朗誦してくださつたのには、不肖三人弟子も感動してしまひました。

 

《伊豆の山暮し》その四

柱と屋根は生きてゐるから大丈夫と、大工さんに言はれ、お任せしてゐましたが、実際に解体作業を目にしたときには、ほんとうに大丈夫かなと思ひました。それでも、回を重ねて訪れるたびに、抱いてゐたイメージに近づいてくるのには、胸がわくわくしました。

もとの建物に、ロフト付の書斎を建て増し、その板の間には、小さな囲炉裏をこしらへました。もちろん、上部の隅に換気扇を備へました。けむりを想定してゐたからです。

しかし、囲炉裏の中で焚火をするわけではありません。暖を取るとならば、木のくべかた、木の太さ、またその本数など工夫すれば、まつたく煙がたたないといふわけにはいきませんが、煙くないほどには抑へられるのです。それも、目玉が赤くなるほどの経験実績をふまえて、尊い犠牲のうへに得た知恵なのでありますが・・。

 

今日の写真:伊豆の山の家のぼくの設計図。改築工事中の家。そして、けふのラム。寒いのか、体調によるのか、ブルブル震えて可哀さう。