十二月十七日(火) 晴れ

 朝食後、母と妻が、立石のコジマに電器製品を見に行くといふので、ぼくもお供しました。ついでなので、店員に、ウインドウズ7はおいてないのかと聞くと、ないといふ。けれども、ぼくの要求を言ふと、秋葉原に行けば、中身だけW8をW7に替へてくれるところがあるといふのです。店員もW8が良くないといふことを聞いてゐたらしいのです。全取つ換へより格段に安くできるとも。これは朗報だと思ひました。もう心はアキバです・・。

しかし、午後はお留守番。昨日に続いて、『中山道 安中宿本陣文書』の中の、「姫宮の通行 和宮」を読み進みました。〈御休泊割御道中筋宿々御固(予定)〉のところで、板鼻宿は「御泊 伊奈半左衛門御代官所 (木島)喜平衛」と記されてゐます。安中宿は「御小休」です。問題は、御降嫁の準備です。なかなか、その道筋が、東海道なのか中仙道なのか決まらなかつた様子が記されてゐます。「乍然弥々中山道木曾路通りと申儀も此上如何ノ御模様替り可被仰出哉」と戸惑つてゐる様子がうかがはれます。

また安中宿の〈書上帳〉を見ると、「御小休」なのに、畳表替、襖張替、壁塗替、天井洗までやつてゐるんですね。命じられたのか、自主的にか、もう大騒ぎ! さらに、助郷休役村にまで、人馬を供出するやうにとのお達しです。まあ、大変なことが起つてゐたんです。

それはさうと、一緒に「中仙道を歩く」方から連絡があり、二十日に会つて会食しようといふことになりました。そこで、ぼくは、集ひの名前をつけるのが、このところ好きになつてしまつたので、「仙道会」と命名しました。三人の方に早速連絡したら、すぐ了解を得ることができました。中仙道の「仙道」と「仙人・仙術の道」とをかけたものですから、理解を得たものと思ひます。しかし、女性の肌を見たら雲から転げ落ちてしまふやうなぼくらには、そんな理屈より一層ふさわしいのではないか、とほくそ笑むでしまひました。

 

今日の写真・・皇女和宮宿泊所。安中宿本陣跡碑。それとけふのラム。家から散歩に出かけるところですが、ちよつと、足の運びがおぼつかないやうです。