十二月十九日(木) 

 朝目覚めて、ふと思つた。先日、FM江戸川のいいところを並べたけれど、さういへば、我が葛飾FMも捨てたもんではないのだ。今朝なんて、六時につけるやいなや、耳に飛び込んできたのは、「いにしえ」「ケンとメリー愛の風のように」。続いて、「美しい十代」「新雪」に「昔の名前で出ています」「悲しい酒」。次は何がかかるのか、かう思ひはじめたらもう負けです。朝つぱらから目も覚めやうといふものです。

 それだけではないんです。六時半からは、いへ、ラヂオ体操ではありません。葛飾FM、引き続いて《親と子の論語の時間》なんです! 今朝は、「子貢問君子、子曰、先行其言、而後従之」(しこう、くんしをとふ、しのたまはく、まづおこなふ、そのげんは、しかるのちに、これにしたがふ」。これを六、七回ゆつくり繰り返すのです。どうです。立派なもんでせう。英語やら何々語やらにくらべて、歴史が違ふんです。ぼくたちの日本人の血となり肉となつた言語の懐かしさよ!

 『論語』は、訳者によつて多少ニュアンスがかはりますが、ぼくのお気に入りは、魚返善雄センセの『「論語」新訳』ですね。漢文の参考書(『漢文入門』現代教養文庫)も出してゐて、お世話になつてゐるんです。

 また今日は、昨日のウインドウズ7の「御見積書」に従へば、ネット環境などがどうなるのか、直に聞きたいと思つて、ユニコムの岩井さんに我が家にきていただきました。昨年、ネットに入る相談にのつてもらつたことを思ひ出したからです。ところが、ぼくのパソコンを見ての第一声は「もつたいない!」でした。たしかに、メールも、アウトルックからライブメールに替へることができました。つまり、アドレスの分類が可能になりました。また、写真のサイズ変更も、何とかエレメンツを使はなくても、難なくクリア! もうこれだけでも替へられれば、問題はあらかた解決です。きてもらつて本当によかつたです。要するに、販売店の方と意識が違ふといふことなんですね。

 

 《伊豆の山暮し》その六

 山暮しをするにあたつて、妻とまづ決めたことは、新聞を取らず、テレビを置かないといふことでした。もつとも、テレビを見るには、高額を支払つて線を引かなければならないこともありましたが:。幸いに、ぼくたちは、本さへあれば満足できる人間です。妻はすぐに町の図書館に通ひはじめました。

 しかし、ぼくは、読む本は手もとに置かないと気がすまないたちなので、週に一度、東京に仕事に出た時には、必ず神保町を訪ねて歩き回りました。

 けれども、一度だけ、大変なことがありました。あの、阪神淡路大震災のときのことです。もちろん揺れを感じましたから、察してはゐましたが、それから何日かして、妻が町から持ち帰つた新聞を見たときには、心底驚きました。すぐ、西宮にゐる友人に電話をかけましたが、何日もつながりませんでした。

 今日の写真:お気に入りの岩の上で。カブトムシとにらめつこ。泉でたはむれるラム。