十二月二十五日(水)乙丑(旧十一月二十三日) 晴れ

  今日は、二か月に一度の定例の通院日でした。通勤通学の人のむれに混じつて、三田線の御成門駅下車。通ひなれた慈恵大学病院へ直行です。しかし、普段とはことなり、先日受けた、うそ発見器のやうなエコー検査の結果が明らかになる日です。あわててゐたのか、受付をするところで診察券を紛失してしまひ、すぐに届けられたのはいいのですが、もう悪い予感がいたしました。

 受付後、まづは採決、検尿、心電図にレントゲン撮影といふものものしさです。混雑はいつもですが、特に今日は遅れてゐました。ぼくは一二時の予定が、一二時五〇分になつてやつと名前が呼ばれました。

 心臓外科の担当医の診察室に入るや否や、ぼくは、先生の顔に向かつて、「先生、最近ちよつとシンドイんです」と、聞かれもしないのに言つてしまひました。先生は、「そうでせう」、と検査結果を目にしながらのご返事です。「不整脈が起こつてしまひましたね」、とたたみかけるやう。犯した罪を糺すかのやうなお言葉に、ぼくはこの五十年近い日々、おののいてすごしてきたのですが、ああ、またです。すいませんもなにも、ぼくが悪いことをしたわけでもないのに、卑屈になつてしまふのはどうしてなんでせう。気が弱いとしかいへないんでせうね。いへ、これは、あの「検査室」と「化粧の匂ひ」と「腿のふとき」のせいにちがひないのです。もちろん、先生にはそんな弁明は口が裂けても言へませんです。

 たうとう、「それでは、循環器内科の先生に診ていただいて、その結果、またアブレーション手術かカテーテルになるか判断してもらひませう」と、かうですよ。ぼくが最も恐れてゐた判決、いな審判です。でも、診てくださつた循環器内科の専門医は、「一月にホルター心電図(二十四時間携帯心電図)をつけ、二月には、薬剤負荷心筋シンチグラフィ検査を受けて、その結果をふまえて次を考へませう」とのやさしいおことば。捨てる神あれば拾ふ神あり、ですね。ほつとして帰宅できました。

 しかし、ただでは起きません。またぞろ神保町です。いへね、一年間お世話になつた、そのお礼をかねた、今年最後のご訪問なんです。八木書店では、いつも破格値の影印本しか買はないのに、来年のカレンダーをくださつたのです。感激でした。そこで、今日も探し出した、影印本の『芳野本義経記』三百円、を買つてしまひました。そのほか、千円の『読史備要』、『幕末・維新全藩事典』、大塚さんに勧められた『街道をゆく2 韓のくに紀行』とか、『幕末の八王子千人同心 粟沢右衛門一代記』やら、翻訳が旧字旧仮名本のリルケの『神について』などなどを求めてしまつたのであります。ただ、言ひ訳けではありませんが、みな格安なのです。おさいふの心配はご無用に・・。

 それと、けふは、一年のしめくくりですから、一人で外食をしました。伊豆にゐたときには、上京するたびに通つてゐた、放心亭です。三省堂書店の地下にあつて、実に美味しいステーキが食べられるのです。ビールもいいらしいんですが、ぼくはほとんど飲めません。席に着くや否ややつてきたウエイトレスさんが、「久しぶりですね」と声をかけてくれたのには嬉しかつてです。いや、それでも一年ぶりなんですけどね。

 さて、今日はクリスマス。こんなバカなことばかりしながら今年も暮れやうとしてゐます。今朝、妻には、出がけに、プレゼントのやうな優しいお言葉をいただいて、ぼくは幸せだなとつくづく思つたのです。昨日は、母からも干し柿をいただいてしまひ、ぼくのプレゼントは何にしたらいいでせう。もちろん考へてゐますが、それは・・。

 今日の写真:心臓外科外来風景。新装なつた、三省堂書店のすずらん通り口。放心亭への入口。それとステーキの写真。