十二月二十七日(金)丁卯(旧十一月二十五日) 曇天、朝夕小雨

  朝の目覚めは、なんといつても歌謡曲やフォークの葛飾FMですが、夜はFM江戸川がいいのです。寝るときの洋楽のインストルメンタル、意外と曲名つて知らないんだなあと思ひながらも、これいい、いやこれもいいなとぼんやりと聞きながら寝入るのは、幸せな一日のしめくくりとなつてゐます。

 「中仙道を歩く」の板鼻宿、だいぶシンドイのですが、今日も飯盛女について書き進めました。これだけではありませんが、考察するだけで心が重くなつてしまふ問題は、歴史を見ていくと多々出会ふものです。それらは、要するに日本の歴史にとつて「負の遺産」だといへると思ふのです。これは、実は、ぼくたちが背負はなければ、これはまた次の時代へ、借金のやうに押し付けるだけになつてしまふのだとぼくは思ふのです。歴史を学ぶ、或は歴史に学ぶとは、この「負の遺産」をしつかりと見据え、自ら背負ふこと以外の何ものでもないと思つたしだいです。

 午後、いつもより遅く弓道場へ行きました。団体の利用があつたためです。齋藤さん川崎さんとともに、今年最後となる(?)お稽古を、この一年、先生から指摘されたことをすべて思ひ起しながら、まあ、これでは無心にといふわけにはいきませんが、いい射を引くことに集中しました。そして、先生からいただいたノートにしつかりと記録しました。

 この弓道は、ぼくのやうに、からだに多少不調があつても、自分に適した弓をひくことができるのです。木登りくらゐしかできなかつたぼくにとつて、最初で最後のスポーツといへるかも知れません。

 昨日、ぼくは、「人はみな自分の人生を生きなければならない」と言ひましたけれど、それは、おそらく当たり前のことなのだと思ひます。ちよつと補足するならば、それは、だから助けあふことなんかできないといふことなんです。かう言ふと、お叱りを受けるかもしれませんが、助けあふことによつて、助かる事なんて、実は、たかが知れてゐます。それだけのものです。ぼくが、人は一人なんだといふのは、それは、自分で自分の人生をしつかり受け止め、受け入れる以外には助かる道はないといふことなんです。他に期待したり、頼つてゐては決して納得できる解決は得られないといふことです。

 しかし、この自分を受け入れることが難しいのです。まづ、誰かのせいにしたくなるでせう。あるひは、原因を探らうとするでせう。それでイライラしてしまふのです。どうしたら、ありのままの自分を受け入れ、いや、自分をゆるすことができるのでせうか?

 

 今日の写真:ベッドは書斎であるの原点。楽しかつた入院生活。看護婦さんは美しい。