十二月二十八日(土)戊辰(旧十一月二十六日) 晴れ 

  今朝は、起きて服に着替へました。当たり前のことが、難しくなつてくるもんなんですね。それで、遅れを挽回するために、一日パソコンに対峙いたしました。

 『歴史紀行二十三 中仙道を歩く十一 板鼻宿~松井田宿』の執筆も、どうにか板鼻宿を過ぎ、けふは安中宿にとりかかりました。ところが、旧碓氷郡役所で開催されてゐる「新島襄と八重展」が立ちふさがりました。ぼくは、NHKの大河ドラマは、自慢ではありませんが、長谷川一夫の「おのおのがた!」で有名な「忠臣蔵」以降見たことがないのです。

 そこで、いきほひ、新島襄から洗礼を受けた人々に関心を向けてしまひました。つまり、彼が蒔いた種がどのやうな実を結んだかといふことです。まづ、安中教会が設立されました。これは、日本人によつて設立された最初の教会なんですね。外はみな、外国人宣教師によるものでしたから、それだけでも自主独立の気概があふれてゐます。そして、その中のひとり、湯浅治郎といふ群馬県会議員によつて「娼妓廃絶の建議」が出され、それが可決され、さらに他府県にまで多大な影響を与へたんです。それが、どんなにたいへんな事だつたかについて、山室軍平も引合ひに出して述べてみました。

 それにしても、人は時代の子でしかないのでせうか。遊女や白拍子の歴史などは、歴史として興味深く書かれてはゐますが、そもそも、人身売買によつて拘束された幼い女の子たちが苦しむのを見て、「野蛮的暴慢なる所業」であると思ふ人はゐなかつたのでせうか。飯盛女のことは、街道を旅するかぎり、これからも必ず出てきますので、どれだけため息がでるのか、ちよつと自信がありません。

 あ、さうだ、先日銀座で食事をし、二重橋と将門の首塚を一緒にたずねたマキさんから、けふ、ぼくの大好きな「ころ柿」が届いたんです。もちろん、そつと、大事にしまひました。

 

 今日の写真:旧碓氷郡役所。安中教会。そして、けふのお嬢さま二題!