正月二日(木)癸酉(旧十二月二日) 晴れ 

年賀状が来てしまひました。年賀状を出さないですむ生活をはじめて二十年にもなるのに、毎年十枚ほどいただいてしまふのであります。今年も、昨日と今日で十五枚。伊豆にゐた時には、あへて返信も出しませんでしたが、今や、俗界にもどつてしまつたやうな身です。

どうしても二人のかたへは書かざるを得ませんでした。あとの方々には勘弁してもらふしかありません。お許しくださいませ。

 仙人にもなれませんでしたが、脱世間すら今や風前のともしびです。時流に流されずに、自流を貫くのは、俗界に身をおくほどその難しさを感じます。「知る人のいないことが孤独なのではない。知った人がみな背を向けることが孤独というものであった」(『一路』)。この伝でいへば、ぼくは、一人であつても孤独であつたことはなかつたなと思ひます。有難いことです。でも、これからも、「来るものを拒まず、去る者を追はず」の自由なる精神は忘れないでゐたいと思ひます。

「中仙道を歩く十一」もいよいよ大詰めです。最後の注目は、安中市指定重要文化財とされてゐる「八本木延命地蔵尊」です。ぼくは、「中仙道を歩く(三)」で、お地蔵さんについて詳しく書いたのですが、このお地蔵さんは、どうもその範疇に入つてこないのです。といふより、これは本当のお地蔵さんなのか疑はしく思つたのです。う~ん、さう言ふより、祀る人々が勝手に地蔵を利用しようとしたのではないか、そんなことを感じてしまつたのです。明日にでも脱稿できるやう、頑張りたいと思ひます。

午後になつて、弟夫婦と飼犬のイクちやん、少しおくれて、妹と姪がそれぞれ年賀にやつてきました。父が亡くなつてから二回めのお正月です。でも、うれしいことに、父が幸福な最期を迎へて逝つたことを、誰もが疑ひません。あたかも一緒にゐる、そんな気持ちで、母を中心に、楽しく豊かな食卓を囲むことが出来ました。

あへて付け加へるならば、四、五十年も以前には、正月になると、父の妹三家族が我が家に集まつて、みなで花札競技をしたことです。何しろ大人数でした。とくに、父のすぐ下の妹の連れあひの次郎吉おぢさんが一番強くて、悔しいんですけれど、なによりも優しいおぢさんでしたから、ぼくは大好きでした。そのおぢさんが亡くなつたとき、ぼくは東京を離れてゐたので列席することができず、後で知つて心から残念でした。でも、おぢさんの姿とあの穏やかな顔は決して忘れません。

そんなこんなで、今日は、『一路』を読み進むことができませんでした。小説は、やはり一気に読んだはうが面白いのは当たり前です。でも、明日も予定があるし・・。

 

今日の写真:ラムとイクちやん。次郎吉おぢさんの花札姿。おぢさんとぼく。今日の団欒