正月五日(日)丙(旧十二月五日・小寒) 曇天 

  今朝の起床は十時。今日まではお正月といふことで、十時朝食とのお達しがくだされてゐたからです。それでも、忸怩たる思ひがするのは、夜更しして「日記」を書いてゐたからで、明日からは厳しいご詮議にあふことでせう。十時起床が習慣化してゐないことを祈るしかありません。

 ところで、夕べ、風呂に入り、今年はじめて洗髪をいたしました。そこで、ふと気がついたのですが、昨年七月、甥の結婚式があつた夜に、それまで長かつた髪の毛を根本から十センチほどに切りそろへたのです。それがです、今もつて同じ長さなのです。成長が止まつてしまつたのでせうか。いへ、今までも、一年か二年に一度は切つてゐたのですが、それはそれは伸びるのが早かつたのです。ちよつとどころか、かなりの衝撃です。さういへば、我がラムちやんも、昨年から、秋になつても、冬に入つても冬毛が生えてこず、ブルブルしてゐます。もうお互ひに歳なんだなあと、いまさらながら思ひに沈んでゐます。

 だからといつて、生きていく使命感までしぼませてはなりません。今日は浅田次郎センセの『一路』の下巻に取り組みました。センセ、いいこと言つてゐるのです。読み流すのはもつたいないと思ひました。まづ、先日も取り上げましたが、殿様が「世の中がかくも揺らいでいるのは、武士の魂が失われ」たからだと言ひました。その答のやうな言葉が、下巻にあります。「おのれの領分を一所懸命に守るを本分とする武士が云々:」です。つまり、ぼくは、これは、各自が自分の仕事に専念することが、世の中全体の益になると信じた者の生き方なんだと思ふのです。或いは、一路の添へ役の栗山真吾が殿様に言ふ言葉。「父はかねがねこう申しておりました。武士の面目は他聞他目にあらず、常に自聞自目に恥ずることなきよう生きよ、と」。殿様も思ひます。「武士の面目とは、おのれ自身に恥じぬ行いにちがいなかった。」

もちろん、世の中は武士だけで成り立つてゐたわけではありませんよ。しかし、この伝でいへば、世の中を揺るがすのは、自分の仕事に専念せず、楽をしようとしたり、利益のためには自尊心すら売り渡してしまふ輩が増えてきたためでせう。また、それを助長する風潮がマスコミやら、政治権力の陰謀によつて、ぼくら自身の生活を動揺させようとしてゐるのではないか、とぼくは感じてしまふのです。

そのほか、「一生不離叢林、只管打坐(生涯修行の場を離れず、ひたすら座り続ける)」とか、「無知が愚かなのではなく、知ったかぶりが愚かなのだ」とか、「そもそも人間の幸福とは、ある程度のいいかげんさによってもたらされるものだ」。そして、今日の極めつけは、「上り坂は力であるが、下り坂は技である」とのお言葉です。ぼくは、この最後のお言葉にガアーンとやられてしまひました。人生そのものだと思ひました。がむしやらに一応生きてきましたが、下り坂も終盤にかかりはじめた現在、今までの生き方が問はれるのだと思ひました。下りきれる技も知識も常識も覚悟も諦観もできてゐるだらうか。さういふ意味でいへば、『歴史紀行』が、その足跡といふか、遺言のやうなものかも知れないとふと思ひました。

また、遅い昼食の時、テレビで、野村克也さんが、野球を振り返つておつしやつてゐました。「バッティングは七割から八割は備へである。」しかも、「根拠のある備へでなければならない」と。わかりますね。根拠のないヤマを張つてゐただけでは打てない、とかうです。それがID野球と呼ばれたんです。どれだけ備へてきたか、いよいよ試され、問はれるのはこれからのやうな気がします。

 

今日の写真:昨日に続いて、ぼくが作成した「読書計画表」と、「日本古代史年表」です。それに、ラムと京成スカイライナーです。