正月六日(月)丁丑(旧十二月六日) 晴れ、風が寒い

午前中、先日出来上がつた『歴史紀行二十三 中仙道を歩く十一(板鼻宿~松井田宿)』のワード版を、パワーポイント版にコピー・編集をはじめました。

そもそも、『歴史紀行』は、携帯メールによる、現地からの実況中継からはじまりました。そのメールを起こして、弟の指導を仰ぎながら、パワーポイント版の冊子を作りあげたのです。それが、記念すべき『歴史紀行六 平安京編二』です。それならば、すでに行つてゐた「紀行」も、『歴史紀行』にしあげてしまはうといふ野心を抑へきれず、「飛鳥・藤原京編」を第一冊として、「古代天皇陵編」、「平城京・長岡京編」以下、たうとう二十三冊にまでなつてしまひました。

このやうに、『歴史紀行』の当初は、まずパワーポイント版の『歴史紀行』を作成し、それを冊子として製本したのでした。手間とお金がかかりましたが、こんなもんだらうと思つて、苦も無く楽しく作り、友人にお送りしてきましたけれども、中仙道の旅に入つてからは、俄然あわただしくなり、プリント・製本してゐる間がなくなつてきたのです。それで、いつそのこと原稿をメールに添付して送ることにしたのです。

ところが、うかつにも、ぼくは、みなさんのパソコンもパワーポイント機能を持つてゐるのだらうとばかり思つてゐたのですが、そんな甘いもんではありませんでした。自分中心であつてはならないことを否応なく教へられました。それで、だいたいの人が備へてゐる、ワード機能を活かした「ワード版歴史紀行」を作成することになつたのでした。

それも、はじめは、パワーポイント版を作成しておいて、それをワード版にコピー・編集してゐたのです。しかし、それでは、出来たてほやほやをお届けすることができないことがわかつたので、今までとは逆に、はじめにワード版を作成することにしたのです。さうすれば、パワーポイント版の方も含めてすべての方に送ることができたからです。

でも、作品としては、パワーポイント版(冊子版)のはうが、出来栄へがいいのはわかつてゐましたから、最後の仕上げとして、冊子版を作成してきました。ところが、冊子版の場合には、紙面の制約を念頭におきながら、書き進められたのですが、はじめにワード版を作つて、それを冊子版にコピー・編集しようとすると、紙面のおさまりが非常にわるいのです。

ああ、長い文章になつてしまひましたが、ただ今日の作業は大変だつたと言ひたかつただけなのです。たうとう、我が『歴史紀行』の歴史を語つてしまひました。こんなの独り言で済ませなければなりません。反省。

 このやうなときには体を動かすのが一番。昼から、弓道場へ初稽古に出かけました。やや、着いてみれば、もう「月曜会」のメンバー全員、といつても三人ですが、揃つてゐるではありませんか。まづ先生にご挨拶。御同輩方にもご挨拶。これが効いたか、はじめから的中です! 形を整へるといふのは、弓術を身につけるだけでなく、師弟の間柄をわきまへることも含まれるのだと悟つたしだいでした。

 帰り際には、先生が、不肖の弟子三人を前にして、改めて、「弓は、心を育むことでなくてはね」、とおつしやられ、ぼくたちは感動してしまつたのでした。

 夕食後の散歩は、ことのほか冷えました。あちこちクンクンは、ラムの好奇心と取材能力、これは、つまり若さの源泉です。車がきて危ないとき以外はまつたくの自由。寒いのを我慢してお付き合ひです。通り抜けた上りスカイライナー。昨日もさうでしたが、満員でした。ふだんは、これで採算あふのかねと妻とささやきあつてゐるのですが。

今日の写真:弓道場のある、「葛飾総合スポーツセンター」。弓友の宮司さんからいただいた、午の「土鈴」。それと毛が少なくなつてヒーターと日差しのもとで憩ふラム。