正月十一日(土)壬午(旧十二月十一日) 晴れ 

今日は、パヂヤマデイでした。それで、横になつて、影印本『方丈記』を読み続けました。もう何度となく読んできた『方丈記』ですが、かうして、一字一句確かめながら読んでみると、そうでもしないとススーとは読めないからなんですが、また違つた情景が浮かんできます。気が付いたのは平安京への遷都の話です。京に都が定められたのは、ぼくたちは、桓武天皇によつてだと学んできました。桓武天皇が、奈良から強引に都を長岡京に移し、さらに平安京に移したのは、延暦十三年甲戌(七九四年)でした。

ところが、『方丈記』によりますと、嵯峨天皇の時代だつたと記されてゐるんです。

  「大かた此京の始を聞は嵯峨天皇の御時都と定まりけるにより後すてに数百年を経たり。」(今日の写真参照。三行目から)

読んで、おわかりのごとく、句読点も濁点もありません。まづ、どこで区切るかを考へながら、濁点を付けながら読むしかありません。それが最初の試練です。また、漢字が多数使はれてゐますが、原文はくづし文字です。現行本を見てしまへば、なあんだ、といふことになるのですが、あれこれ、文字を当てはめながら考へるのも楽しみのうちです。早く読み流す必要はないんです。

それはさうと、嵯峨天皇といへば、桓武亡き後を継いだ、兄弟であつた、平城天皇の次に天皇になつた方です。大同四年己丑(八〇九年)のことですから、平安京遷都の十五年後になります。その間いろいろありました。参考書の概説でも見ればわかることですが、大切なことは、鴨長明がいふやうに、遷都は嵯峨天皇の時代だつたといふ、当時のその感覚ですね。

つまり、その頃になつてやつと世上が落ち着いてきたといふことなんでせう。このやうに、ぼくたちが注意したいのは、その時代に身をおいてみないと、わからないことがいかに多いか、といふことだらうと思ひます。だから、その時代の史料・文書・物語作品などに直接当たることが欠かせないのです。その感覚を参考書まかせにして済ましてゐたのでは、ぼくは怠慢だと思ふのです。はい。

さういへば、東京が、京都から遷都したのがいつだつたか知つてゐますか。ぼくも知らなかつたのですが、それは、政治的には、昭和二十五年(一九五〇年)六月五日のことなんです。明治ではありませんよ。ぼくが生まれた三年後のことです。種を明かせば、半藤一利さんの『ぶらり日本史散策』ではじめて知りました。これは、鴨長明とは逆の話かも知れませんが、その時代の政治的歩みと、世の風潮とは合致しないといふ一つの例かもしれません。

 ちなみに、年号ですが、甲戌から己丑まで数へて十五年とわかりましたか?

 

今日の写真:『方丈記』より抜粋。クンクンの嗅覚だけは旺盛なラムちやん!