正月十八日(土)己丑(旧十二月十八日) 晴れ

今日の「日記」は、ラフォーレ修善寺でしたためてゐます。これは、出先きといふか、旅先き、いや、仕事先きからの記念すべき最初の「日記」です。

仕事は久しぶりになります。近年とみに少なくなつてきたので、たいへん残念なんです。古い話になりますが、あの「百一回のプロポーズ」でしたつけ、そのテレビがあつたときには、たいへん賑はつた、そんな時もあつたのです。

そんなラフォーレ修善寺とのつきあひは、ラムと出会つた一九九八年の二月以来ですから、もうまる十六年になります。もちろん、南伊豆に住んでゐたときからのことです。実は、ここも、例のチューブの伊藤さんが紹介してくださつたのです。このラフォーレ修善寺には、かつてスケートリンクがあつたので、その関係で伊藤さんは出入りしてゐたのですね。きつと、ぼくの仕事まで見つけてくれたのだらうと、いまさらながら感謝にたへません。それで、ぼくは、まがりなりにも勤めてきたわけなんです。

南伊豆からですと、自動車で、伊豆半島の東回りと西回りがあります。最初は無難に、下田、河津、天城峠を越えてまゐりました。六六・八キロありました。時間は一時間と四〇分。また、妻良、松崎、土肥、船原峠越えですと、七八・六キロ、二時間かかりました。出かける時間によつて、また気分によつて、ときには、松崎の仁科川を峠まで上りつめ、湯ヶ島か船原峠にでることもありました。さらに、東海岸を、伊豆高原か伊東まで出て、山の中を修善寺まで走つたこともありました。伊豆半島の下三分の二はほぼ走り回つたのではないかと思ひます。

そんなに苦労して勤めてゐたのに、いや楽しくてしかたなかつたんですが、妻は、やはり見抜いてゐたんでせうね、ぼくがまるで遊びにでも行つてゐるかのやうに、今もつて思ひ込んでゐるんです。仕事によつては、日帰りと泊まりがありましたが、もつとも、食事、温泉、宿泊付きですからね、さう思はれてもしかたがないかも知れません。はい。

 でも、東京に帰つてからは、電車通勤です。それでもいいので来てほしいとの、実にお情けあるお言葉に甘えてしまひました。ですから、よけいに、妻からは、「温泉に遊びに行つてくださいませ」とのたいへん皮肉たつぷりのお言葉に送り出されて、今日このやうにやつてこられたのであります。あしたのお仕事のために、会席料理をいただきながらも、ビールはほんの一口でやめました。

 

今日の写真:修善寺行「踊り子号」(東京駅にて)。ラフォーレ行シャトルバスと改築中の修善寺駅。ホテル棟。夕食の会席料理、飲み気より食ひ気、いつもまとめて出していただいてゐます。仁科川河口からの夕日。そして、河津・逆川山中から利島遠望。