正月十九日(日)庚寅(旧十二月十九日) 快晴

夕べは、「日記」を書いてから温泉に入りました。ゆつくり温まつてから洗髪し、出てからは体重を量りました。ここで体重を量るのが日課(?)となつてゐましたが、今日は久しぶりです。六三・二〇キロありました。どうもいけません。はじめの頃は、六〇キロを越えてはいかんと思つてゐたのが、六一になり、六二になり、今や六三。もうこれ以上は増やせません。山暮しで体を酷使してゐたときには、五七か五八を行き来してゐたのに、なんといふ堕落。やはり都会生活、いや、あの美味しい会席料理がいけないのかも知れません。

ところで、ぼくの仕事は、結婚式の司式です。伊豆に移り住むやいなや、先輩の宮島新也先生から誘はれて、青学会館(現在は、アイビーホールと改名)に勤めはじめたのでした。まあ、一つの司式いくらといふ、アルバイトとかはりのない仕事ですけれど、その責任はとても重いものなんです。たつた二十五分ほどの結婚式ですが、お二人の人生の門出に立会ひ、少なからぬ影響をもたらすことになると思ふと、とても緊張いたします。ぼくはぼくなりに、よい式になるやうに最善をつくしてきたつもりですが、長く続けられたのは、その努力のおかげかも知れません。

修善寺の仕事が入るやうになつてからは、ですから、東京の仕事と重ならないやうにしていただき、毎週土曜日と日曜日はほとんど日帰りか泊でした。脱世間を試みたぼくにとつては、唯一の「この世」とのつながりといつていいでせう。伊豆の山暮し生活は、この仕事の間を縫つておこなはれたわけです。その他に、木工の仕事もありましたが、これはまたのちに書くことにしませう。

 さて、今日のお仕事は、ブライダルフェアでした。模擬結婚式です。しかし、これがまた通常の結婚式とは雰囲気も違つて、まことに緊張するんです。大変卑近な例で申し訳ありませんけれど、列席された方々は、どのやうな「商品」が出されるのか、品定めに来られてゐるわけなんですよね。その厳しい目で見られてごらんなさい。ドキドキしないはうがおかしいでせう。特別気の弱いぼくには、これ以上の試練はありません。それをどうにか克服し、今日も無事に帰つてこられたのは、式場の有能なるスタッフとオルガニスト、聖歌隊の方々の温かいまなざしと励ましがあつたればこそなんです。

修善寺駅まで、聖歌隊の手代木さんに送つていただき、駅前では、「武士のあじ寿司」を購入。電車で食べるこのお寿司、いい仕事をした帰りですからよけいに美味しかつたです。

思ひ出しました。先日の「中山道を歩く」の坂本宿直前の急坂のことです。息が切れただけではなく、ふくらはぎが途中で攣(つ)りさうになつたのです。触ると、今にもかたまりさうです。ゆつくりと歩いて、どうにかリタイアしないですみました。ゴールに到着してから、リーダーに話すと、それは平地で起こりやすいけれども、次回の山路では、むしろふとももの筋肉が必要だから、この二ヶ月、階段を足で上り下りして訓練するといいですよ、と丁寧に教へていただきました。直接、ぼくの運動不足を責めもしないで、とてもやさしいお言葉でした。ご一緒に京都まで歩き通したいと、改めて決心いたしました。

そこで、昨日今日と、階段を、それも駅の長い階段を上り下りしました。心臓に負担がかからないやうに、静かに歩きましたが、ききますね。碓氷峠を越えるために、頑張らうと思ひました。

 

今日の写真:ラフォーレ修善寺から見た富士山。同、結婚式場(仕事着姿は差し控へさせていただきます)。あじ寿司。そして、伊豆箱根鉄道から見た富士山。