二月(如月)一日(土)癸卯(旧正月二日) 晴れ 

 昨日はいささか強行軍でした。いへね、新年会で、歴史探訪と会食があつたからではないのです。実は、その前に、例の神田の古書会館で、「和洋会」の古本市があつたのです。せつかくの外出ですから、有効に使はなければなりません。けれども、重い本を持つたまま新年会に行くのも嫌ですから、おもに和本を探しました。

ありました。先日の『白隠和尚辻談義』につづいて、『白隠禅師 夜船閑話』です。これは、宝暦七年(一七五七年)刊行の、心身衰弱の治療のためにあみだされた内観法の書物なんですね。もつとも、明治十九年刻成発行の本ではありますが、一応和本です。それと、『新撰狂句 川柳五百題』と題した、文庫本大の三冊本に、江戸時代の和本に間違ひのない、『消息往来』です。手紙文例集ですね。何しろ、和紙で製本された本ですから軽くていいですし、時々開いて読むには、みな手ごろです。

 

 今日は、また寝ころびながら、『寺子屋式 古文書手習い』を読み続けました。江戸時代の人たちがどういふ勉強をしてゐたかが少しづつわかつてきました。驚いたことの一つは、はじめから草書体の漢字文章を学ぶんです。楷書体ではないんです。もちろんふりがなつきですが、それは当然変体仮名です。いきなり大人の世界です。

さらに、さまざまな文書を理解したり、書くことができるための教科書であるとともに、礼儀作法や手紙の書き方、さらに歴史の教科書でもあつたやうなのです。その中に、有名文書として、「腰越状」があげられてゐるんです。義経が平家追討の大功をたてた後、頼朝の不興を買ひ、鎌倉への凱旋を許されなかつたため、現鎌倉市の腰越において幕臣大江広元にとりなしを頼んだ書状です。義経の切々たる思ひが伝はつてくる文書ですが、これを読んで育つたならば、当然判官びいきが世に広まつたことでせう。歴史の面白いところであり、また恐ろしいところでもあります。

当時の人々がどのやうな書物を好んで読んだのか、そんなことも知りたくなつてきました。

 

今日の写真:今日のラムの表情。氷川神社節分豆まきの看板。そして、『夜船閑話』と、江戸時代の教科書に載せられた、有名な「腰越状」の冒頭。