二月四日(火)丙午(旧正月五日・立春) 曇天、小雨、のち雪、少し積るがすぐ止む 

静岡の県立中央病院といへば、一九七五年の春、関西学院を修了し、清水市の女子高校に勤めはじめて一年もたたない、翌年の三月一日に入院したのでした。もともと大動脈弁閉鎖不全症だつたその弁が菌に侵され、心内膜炎を起こしたための入院でした。その四月からの一年間、学校の計らひで休職とさせていただきましたが、保険もきいたので、たへん有り難い時期の入院でした。

まづは、点滴注射で薬を投与し、菌を除去する日々が続きました。機能を失つた弁を人工弁に交換するにも、きれいな状態にする必要があつたからです。それが、朝の十時に点滴注射をはじめるわけですが、抜くのは翌日の朝八時。つまり、二十二時間点滴だつたのです。八月末まで、かれこれ六か月続きました。

でも、ぼくは、苦になりませんでした。むしろ楽しいくらひでした。かういふとばかなことを言つてゐるやうに思はれるかも知れませんが、それは本当です。本はふんだんに読めましたし、なにしろ、看護婦さんがみないい人だつたのです。一九七六年九月四日、退院間近の「日記」には、お世話になつた看護婦さんについて、一人一人紹介といふか、感想を述べてゐるんです。書き写してみます。( )内は注記。

 

・通称「母は強し」で、美千代ちやんの偉大なるお母さん看護婦の山田峰子さん。(昨日 の写真の黄色い服の人と、子どもが美千代ちやん)

・小柄でよく笑ふ、同じく母親の山本さん。(写真では、前でしやがんでゐます)

・周智郡春野町出身の大きな人、古川さん。(写真の赤い服の人)

・多少気分屋の杉山さん。

・福井県出身で色つぽい今井さん。

・いつもにこにこ、ユーモアのある小澤さん。

・クリクリお目々のやさしい人、宮脇さん。

・美人だが少しやせすぎ、京都で三年過ごしたといふ山田ちほみさん。

・色ぐろだがやさしい長谷川さん。

・いつも忙しさうに顔をほてらしてゐる高杉さん。

・川根町出でがんばりやの田村さん。

・魚屋のむすめ、しつかりもので近々お嫁さんになりさうな竹下さん。(さう、結婚指輪を準備するんだつたのでせう、指輪のことを聞かれたことがありました)

・看護婦を天職として一途なめがねの人、高田さん。

・もそつとしてゐるがやはり母親の是永さん。

・(ぼくが勤めてゐた)女子高出身ではつらつとしてゐる橋本さん。

・身長一五一センチメートルで気にしてはゐるがとても明るい大畑さん。

・五西(五階西病棟)一体重があるが、いつも大きな声で明るく話す福嶌さん。

・そして、婦長さんの後明さんと主任の和泉さん。

 

こんなにもたくさんの看護婦さんや医師の方々に、ぼくはお世話になつたのでした。だから、ぼくは、命を支へてくれたこれら大勢の方の、あのときの眼差しに恥じない生き方をしなけりやいかんと、もう一度思ひを新たにしたいと思ひます。

当時の日記を繙きながら、あれこれ考へた一日でした。が、なんと、入院生活の写真が一枚もないことに気がつきました。手術を終へたあとで、駒越の我が家に遊びにきてくれた時の、昨日の二枚だけが、入院生活の証しなのです。残念です。

 

今日の写真:清水市駒越海岸にて、子どもたちとお芋を焼く。当時の清水駅プラットフォームにて。三保海岸にて、ブドウ石採取。