二月廿四日(月)丙寅(旧正月廿五日) 曇天、一時晴れ間 

朝から具合がよくありませんでした。たいてい、横になつてゐればおさまるんですけれど、動悸がやまずに、だらだらと昼を過ぎてしまひ、弓道もお休みしました。

かういふときは読書に限るんですけれど、読み始めると寝てしまふのです。せつかく図書館から届いた、北方謙三の『杖下に死す』なのに、数ページも進みません。まあ、かういふときは、身を任せて過ごすしかありません。

それでも、午後の散歩には出かけました。すると、家を出たところで、数か月ぶりにメロちやんに遭遇。ラムはこの年下の男の子に首つたけで、会ふと別人(別犬)のやうなはしやぎぶりなのであります。「おいおい大丈夫か?」と声をかけたくなつてしまふほどです。実は、メロちやんを連れた、この奥さんが例の某党の人で、ひとこと苦言をと思つてゐたんですが、突然の事もあり、言へませんでした。「メロちやん元気?」なんて、ご機嫌取つたりして、自分が恥づかしかつたです。

 ああ、かういふときにこそ、北方謙三君の小説は我を忘れさせてくれるんです。彼とは歳が同じなので、親近感もありますが、なにしろ面白いんです。会話だけで物語を進めて行くといふのは、相当の力量だと思ひますね。それでいて、物語の情景が浮かんでくるんです。手に汗を握り、胸をドキドキさせてぼくは読まさせていただいてきました。

ぼくは、気に入つた作家は、まとめて読まないと気が済まないたちで、今までに、亡くなつた作家はほぼすべてですが、現役の作家は継続中を含めて、読んできたのは、山田風太郎、藤沢周平、池波正太郎、小松左京、半村良、隆慶一郎、それに船戸与一、森詠、原、清水辰夫、樋口有介、東直巳、笹本稜平などでした。あ、殿山泰司センセも忘れてはなりません。また、すべてではなくとも、胡桃沢耕史の大陸ものはいい! 特に『天山を越えて』は三回読みましたが、いつも目の届くところに置いてあるお宝本なのであります。 

 そして、肝心の北方謙三ですが、一九九六年十二月二十五日に『檻』を読んだのを皮切りに、ほぼ刊行順に読み進め、二〇〇五年七月六日の『ただ風が冷たい日』までの一二三冊を読みました。長編では、『三国志』まで。また、歴史小説までは至りませんでした。ネットで「著作リスト」を調べたところ、現在、二一〇作品書いてゐるんです。ですから、半分ちよつとですね(二〇〇五年以降の長編には手が出ませんでした)。それでも伊豆の山暮しで、一気に読んだ感じです。指を切つて入院してゐた時も、片手でどうにかページを繰りながら何冊も読んだのを思ひ出します。

ですから、また悔いもあるのです。伊豆の生活は、木工と読書とにのめり込んだ日々でしたので、もつと早く「歴史」に目覚めてゐればよかつたと、今になつて思ひますけれど、それには「時」があつたんだと観念してゐます。遅まきながら、二〇〇九年一月から、歴史物に取り組みはじめました。小説は、この五年ほどで数冊しか読まない日々が続いたことになります。

まあ、これは、ぼくの勉強方法ですけれども、「読書記録」に記録した本には、必ず「×」か「○」か「△」か「◎」を付けます。「×」は当用・常用漢字と現代仮名仮名遣。「○」は正字と歴史的假名遣。「△」はそのどちらか一方のみ。「◎」は漢文あるいはくづし字。「○」と「◎」が多くなつていくのが楽しみで楽しみで仕方ありません。

さあ、これから『杖下に死す』にのめり込みます。ワクワク、ドキドキはもう計算済みであります。 

 

今日の写真:まだ雪残る我が家の前の道路。久しぶりに、大好きなメロちやんと遭遇!