二月廿八日(金)庚午(旧正月廿九日) 晴れ、暖か 

今日は一日中ラムのそばにゐて、その様子を見ながら読書して過ごしました。

夕べ、夜の散歩から帰つてくると、ラムに、いつものやうにチーズの一切れをあげました。そのあとです。ちよいと目を離してゐたんですが、振り向くとカーペットの上に何やら塊があるんです。よく見たら、それはラムが吐き出したものでした。夕方出した食事のまるごとの量です。苦しさうではないし、変はつた様子もありません。そのまま静かに寝てしまひました。チーズは小指の爪ほどの量ですから、それが祟つたとも思へません。

そして、朝の散歩もいつもと同じでした。ただ、朝の食事はちよいと鼻をつけただけで食べやうとはしません。それからです。まるで死んだやうな状態でした。或は、いつ息が止まつてもおかしくないやうな息づかひなんです。何度もそばにに近づいては息をたしかめ、体をさすつてあげました。時たま目を開けて遠くを見るやうな目をするのです。

それでも、午後の散歩は歩き方も軽快で、あの死んだやうな寝姿はなんだつたのだと思はせられました。しかも、帰宅後、夕方の食事を出すと、すべて食べることができたのでほつとしました。さらに、夜の散歩もいつも通りで、今日一日の心配は杞憂だつたんだらうかと思ひましたが、死に際にはそばにゐてあげたい、そんな思ひでいつぱいでした。

 

 おかげで、読書は進まず、夜の散歩の後、やつと、北方謙三『独り群せず』が読み終はりました。これは『杖下に死す』の続編でしたが、歴史との関はりにおいても、緊張した面白さにおいても、『杖下に死す』のはうがよかつたと思ひました。舞台はその二十年後。場所は同じく大阪。「剣を捨て料理人になった(主人公)光武利之と、孫の利助の料理人への成長、内山彦次郎の男としての成長ぶりが、亡き格之助への思いの中で描かれています。」

北方謙三の作品を前から読んでゐるとわかるんですが、『独り群せず』は、彼の理想とする一種の“お料理小説”であり、彼の得意の“子どもの成長”を描いた作品だなと思ひました。彼のハードボイルド作品には、作品内容にもよりますが、必ず成長期の少年が登場し、焚火の仕方とか、ナイフの研ぎ方、また、こまごまとした料理方法などが描かれます。カーチェイスなどは、免許のない時から書いてゐたやうで、作家の想像力といふか、描写力には舌を巻かざるを得ませんでした。

いや、ぼくは、このやうな定式化したやうな描写が好きで、またかと思ひながら引き込まれてしまふのです。北方謙三の文体によるんでせうが、我を忘れて読めるんですね。

これで、服部さんお薦め本六冊のうち二冊を読み上げました。

 

今日の写真:けふ一日のラム。