三月四日(火)甲戌(旧二月四日) 晴れ 

昨夜、たうとう読み上げてしまひました。もう、途中で止まりませんでした。単行本、五四一頁なんて久しぶりです。かういふの罪ですよね。寝なきやあと思つても寝かせてくれないんです。そりやあもう隠居の身ですから、次の日に差しさはりがあるわけではないんですが、それでもまづいなとは思つてしまふのであります。

飯島和一著『出星前夜』(小学館・二〇〇八年八月)。島原の乱がテーマですが、要するに、これは、「彼等(蜂起勢)は、世間で信じられている棄教転宗を拒んだのではなく、何よりも不当な年貢納入に抵抗した」のだといふことが一貫した主張です。それが、キリシタンの蜂起とされてしまつたことに、後の時代のぼくらはだまされてはいけないと思ひました。

そして、主人公ですが、天草四郎時貞だと思ひきや、島原に住む十九歳の青年、矢矩鍬之介(寿安)と、その彼が軽蔑する大人のひとり、もと豊臣秀吉の朝鮮出兵にも参加した経歴と実力を持つ庄屋の甚右衛門(鬼塚監物)の二人です。寿安が大人を見限つて、子どもたちと蜂起し、そのため、大人たちも決起せざるを得なくなるのが、物語の序章です。

一揆への道備へをなした、寿安の思ひに耳を傾けてみませう。「(おれは)松倉家の苛政、そして、それにただ追従する鬼塚監物らの不甲斐なさ、それらの一切に対し怒りにまかせて抗うことを開始した。人が人として生きうるだけの暮らしを奪うことは誰であれ許さない。それを力で押しつぶそうとする有家代官所の下役どもや松倉の糞侍(ぶさ)どもには、死ぬまで抗う意志を持っていた。目的は、松倉家にせめて表高に見合う年貢に改めさせ、松倉領各村の民が飢餓に瀕するような出鱈目な政事を変えさせることだった」。

どうです。立派なものです。不甲斐ない大人たちも、これに呼応して立上がらざるをえなかつたのです! しかし、鬼塚監物は、戦ひをはじめてから危惧をいだきます。「ジェロニモ四郎始め、その背後にひかえる父益田甚平衛・・らの掲げるキリシタン王国の設立などを前面に押し出せば、戦の意味はまるで変わってくる。単なる邪教を狂信する賊徒の反逆と決めつけられ、幕政の欠陥や藩政の出鱈目には目が向けられることもなく、平定された時点ですべて終わるだけのこととなる」。そして、その危惧の通りに、日本歴史年表には、「肥前島原城主松倉勝家ノ封内ニ、切支丹宗徒蜂起シ、代官ヲ殺シ、社寺ヲ焼ク」と記されるはめになつたわけなのであります。

次の言葉もかみしめたいものです。「これまで幕府は、キリシタンをポルトガルやイスパニアによる日本侵略の先兵と位置づけ、民を守ることを標榜してキリシタンをさんざ弾圧してきた。その幕府が、弾圧の論理を自ら覆しオランダ人を使って自国の民を砲撃していた。古来より戦というものは、勃発してしまえば独り歩きを始め、当初掲げられた意義などどこかへ消え失せて、結局は自国の民を大量に殺すだけのことである」。

読んでゐて、ぼくは、改めて、襲ひ来る災害や飢饉にたいして、どのやうな対策がとられ、国民が守られるか、国の豊かさといふか、国の成熟度を計る基準はこのことにあると思ひました。

 

昨夜もほとんど寝られませんでした。明りがもれないやうに、苦心惨憺の読書です。ですから、今日はもう一日ぼ~つとしてゐました。それで、玄関に入るや否や、はじめから喋り捲つて迫られた、プロバイダー変更の勧誘に危ふくひつかかりさうにもなりました。理解できないことには手を出さないやうにと肝に銘じました。

 

今日の写真:島原・原城跡画像。