三月十三日(木)癸未(旧三月十三日) 曇天のち小雨、夕方から激しい風雨 

采は投げられました。たうとう、手術の日が決まつてしまひました。

ラッシュアワーを克服して、予約時間に間に合ふやうに循環器内科のアブレイション外来の受付をすませましたが、九時半の予約時間が、十時過ぎになり、やつと呼ばれて診察室に入ると、意外も意外、若くてお美しい女子先生ではありませんか。思はず、ドキツとしてしまひました。しかし、おつしやることは冷静です。ぼくの心臓の機能が、この数か月の間にずずつと落ちてゐるといふのです。ただ、はい、と聞いてゐるしかありませんでした。

それで、今日は、手術の日程を決めるだけかと思つてゐたのに、その上CTスキャンまで撮られてしまひました。アブレイション手術をするにしても、それだけでいいのか、心臓の血管に異常はないのかを確認するためだといふのです。造影剤まで注入されてしまひました。

帰りに、入院手続きのカウンターで、必要な書類を受け取りました。「希望する病室はありますか? 個室、四人部屋、六人部屋のどれにしますか」と聞かれましたから、ぼくは、即座に六人部屋にしてくださいと答へました。どうでもいいんです。六人部屋だつて静かなもんです。短期間だしね。同部屋の方々とお話する間もないでせう。ぼくの頭は、入院中どんな本を読もうかとそれでいつぱいになつてしまひました。

また、パソコンは使へるかどうかと聞いたら、ネットにつながなくてもいいのなら、病室で自由に使へますし、各階にネットにつなげられるコーナーがあつて、そこまで行けるやうであれば、ネットも使へるやうなんですね。至れり尽くせりです。もちろん、個室であれば、自由にネットも使用可なんださうです。

四年前の入院では、『続日本紀』を読んでゐるときでしたので、〈変体漢文〉を勉強してゐたことを思ひ出しました。その「六国史」も読み終はり、日光街道、続いて中仙道を歩きはじめ、さらにくづし字と古文書を学びはじめるなんて、その頃は思ひもしませんでした。さて、何を読もうか、入院生活を楽しんでやろうといふのは、ぼくの運命へのささやかな抵抗なんです、はい。

小雨が降り始めてゐましたが、やはりぼくの神聖な義務ですから、神保町にちよびつと顔を出しました。風雨を警戒してか、お店はみな入口のガラス戸の中に引きこもり状態です。八木書店では、中山太郎著『売笑三千年史』(一九五六年発行の旧字旧仮名本です!)。古書かんたんむでは、吉川弘文館の〈江戸〉選書・芳賀登著『大江戸の成立』と、ぼくの苦手とする経済分野、未来社刊の『士魂商才 日本近代企業の発生』を求めました。合はせて九五円、千円で五十円お釣りです!

そんなこんなで、肝心の写真を撮る事を忘れてしまひました。やはり動揺してゐたんですね。今夜は早く寝ることにします。あ、さうだ、今朝は、久しぶりに、6時半から葛飾FMの《親と子の論語の時間》を聞けたんです。「子曰、『不曰「如之何、如之何。」者、吾末如之何也已矣』」。つまり、「『どうしようか、こうしようか。』と、いわない人は、わしにもどうしようもないだろうよ。」といふ意味です。まあ、愚痴つぽくはなりますが、『どうしようか、こうしようか。』とあわてたり、うろたへるのが人間らしいことだと理解しておきませう。

 

今日の写真:昭和三十三、四年(一九五八、九年)頃の慈恵大学病院での入院生活。一枚は回診中。父もよく撮つたものです! この頃、父は、それこそ毎日古本を持つてきてくれたんです。「少年マガジン」と「少年サンデー」の出たころで、創刊号から読んでゐたことも思ひ出しました。それと、担任の武田先生と級友たちが見舞ひに来てくれた時の写真です。みんなどうしてゐるんだらう?