三月十日(土)乙酉(旧三月十五日) 晴れ、暖かい 

ラフォーレ修善寺にやつてきました。二か月ぶりですね。まあ、お仕事ですから日頃のやはな気持ちを引き締めなければなりません。

 でも、いつも楽しいのは列車の旅です。二時間半ほどの旅ですが、タイちやんぢやあないけれど、景色を眺めながめしながらの読書がまたいいんです。

今日は、それで、『殿山泰司のしゃべくり105日』を読みながらやつてきました。それがねえ、ただバカオモシロイだけではないんです。見るべきところは見て、つくところはついてゐるんです。ハイ。たとへばです。「山窩物語」のロケのために、愛媛県の滑床渓谷に行つたときのことです。その報告の中で、タイちやんいいこと言つてゐるんです。いや、とても勉強家でもあるんです。

 「〈山窩〉定住せず山奥や河原に自然人のような生活をしている漂泊民。箕作や椀、杓子製作などを業とし、傍ら狩や漁をする。明治以後、定住奨励政策がとられた。と、広辞苑にありますが、この明治以後というのが気になるな。そりゃァ大正も昭和も明治以後にちがいないけどさ、中島監督はオレに~本格的にサンカが定住するようになったのは、国家総動員法の公布が大きな理由であるが、直接的な切実な理由は米の配給制である~と教えてくれたよ。なるほど、そうかァ。だとすればだな、日本政府はサンカの定住政策に明治からの長―い年月を要したことになり、それも戦争のお陰でバタバタと解決したのであり、もし戦争がなければ、自由人ともいえるサンカはまだまだ存在した可能性もあることになる。人間は自分の好きなように自由に生きればいいのだ。戦争のバカタレ! 自由バンザイ!」。

しかも、役どころは、その山窩の役で、「山に雪の見える風景の中で、オレと藤田(弓子)クンの入浴シーンを撮るわけ。:藤田クンとオレは素っ裸になって、そのサンカ独特の風呂に入り、うだうだとセリフをいうことになつっとる」んですが、さすが、そのセリフはここに書くわけにはまゐりません。ぼくの、今までのキャリアが地に落ちてしまふので、いや、もうすでに落ちすぎてゐて、これ以上落ちやうがないんですが、それでも、ご勘弁を願ひいたしますです。ハイ。

このやうなわけで、うはうはしながらすぐ修善寺駅に着いてしまひました。シャトルバスに乗り換へ、ホテル棟に到着すると、電車の中からは雲で見えなかつた富士山が、頭のはうだけ顔を出してゐました。もちろんすぐ撮影しました。

温泉に入り、ゆつたりとしてゐると、フロントから電話です。たいへん混んでゐるので夕食はお弁当といふことでしたが、席ができたのでレストランまでどうぞとのお誘ひです。ぼくは身に危険がおよばないかぎり、お誘ひには乗ることにしてゐるのです。美味しく、たつぷりといただきました。

ところで、温泉に入るとき、例によつて体重を量つたら、六〇・七〇キロなのです。二か月前より三キロも減つてしまひました。ラムといひ、ぼくといひ、歳なのか、体調がよくないのか、まあ、どつちもだと思ふことにしました。おやすみなさい。

 

今日の写真:タイちやん本の南伸坊さんの挿絵。伊豆箱根鉄道三島駅。「韮山反射炉を世界遺産に!」の看板。狩野川橋から天城連山を望む。ラフォーレ、ホテル棟から見た夕方の富士山。それと、お泊りのお部屋。いつも、ひとりではもつたいないと思ふんですがね?