三月十六日(日)丙戌(旧三月十六日) 晴れ、午前中強風、春一番か? 

ラフォーレ修善寺にて。ブライダルフェアの模擬結婚式、ししょうなく責任をはたすことができまして感謝でした。花婿役の新入社員の男の子があまりにも純情可憐な可愛い青年でしたので、介添と聖歌隊の女性たちに話しておいたら、みなさんとてもご興味がありさうで、式中もちらちら、あーあー楽しかつたです。ハイハイ。

さう、それで、今度のこと、一昨日突然仕事の連絡が入つたと思つたことですが、実は、一月の際にぼくは聞いてゐたやうだつたんです。それを聞き流して、ポケットカレンダーに記入しなかつたんですね。係りの方の名誉のために、反省をこめて記録しておきたいと思ひます。

もう、行きも帰りもタイちやんにどつぷり。いや、面白いどころではありません。ぼくは、真面目なことを真面目に語つても相手の心に響かないといふことをどこかで聞いた覚えがあります。その点、タイちやんは、ふざけてゐるやうでゐて、ぼくらの心をしつかりとつかんで放さないテクニツクをお持ちのやうであります。

そもそも、タイちやんのこと、あまりわるくいふ人はゐないと思ひますが、その自由奔放な生き方にも筋が通つてゐることを知つてもらはなくてはなりません。以下、『殿山泰司のしゃべくり105日』からの、名付けて〈タイちやん名言集〉です。

 ミステリー小説の感想をふまえたところで、「それにしても今回の犯人像には、おどろきと共にびっくり、こんな言葉が=世のなかは決して新しくならないという、悲しい結論に達しつつありましてね、五十年か百年前の新聞をめくるとそこになにがでているか。貧困、飢餓、戦争、事故、地震、政治の腐敗、犯罪などなど、なんにも変わっちゃいない=と、ございました、考えさせられますね諸君 しかし考えすぎないように~ね。」

 「女は美人である必要はちィーともない。心やさしく親切でそして身だしなみがよければいいのだ。それが最高

 「齋藤隣『昭和のバンスキングたち』という本の中にですね、こんなことが書いてありました。〈近代国家の軍隊で、戦場まで慰安婦を連れていったのは、聖戦をとなえた日本軍だけだったことは憶えておいたほうがいい〉 なるほどなるほど、これは憶えておいたほうがいいですね諸君。日本というのがいかに奇怪な国家であったかということが分かります。今のニッポンも奇怪といえばいえないこともないかヒヒヒヒ。・・オレがいちばーん長く駐屯したのは湖北省の山ん中ですが、・・部隊の中に設営されてた慰安所に、四、五名の朝鮮女性がいたんだけど、これが敗戦の翌日に姿を消してしまった。・・『そういえば銃声を聞いたぜ』なんて言う兵隊もいた。・・それにしても、何も銃殺することはねえと思うんだけどな。朝鮮へ帰してやればいいじゃねえか。可哀想だよ。おそらく不法拉致してきた女たちにきまってる。深く考えると滂沱の涙が出る。戦争というものはヒドイものだ。ヒドイものです。」

 「ディック・ミネのあの有名なダイナを、オレはこの(ダンス)ホールで初めてきいた。学生服の客も多かったぜ。学生にダンス・ホールへの出入りを許したのは、うんと勉強して赤になるよりも、ダンスに狂ったほうがええじゃろう、という当局の意向があった。なんてハナシをオレはきいたことがある。」

 「オレは敗戦という言葉を使うのがだーいすき、終戦という言葉はだーいきらい。」

 そして、反省をこめて、「だけどオレは女が売春をしないでも生きていかれるような世の中に、一日も早くなってもらいたいと思っております。」

 「どんな仕事でも、それが無事に終わったときは、オレはいつも心の中でバンザイを叫ぶことにしておりますハイ。」 あはせて、ぼくも、「ばんざーい!」 おやすみなさい。

 

今日の写真:霞んだ朝の富士山。結婚式場とゴルフ場。あじ寿司と珍エスカレーター。