三月廿日(木)庚寅(旧三月廿日) 雨 

ジョニー・ハートマンのアルバムを聞きながら書きます。ロバート・B・パーカー『儀式』(ハヤカワ文庫)を一気に読み終はるやいなや、聞きたくなつたからです。さう、このパーカーのシリーズにはジャズがつきもんなんですが、特にジョニー・ハートマンは主人公スペンサーのお気に入りなんです。パーカーは、二〇〇八年にまとめて四、五冊読んでゐるんですが、すつかり忘れてゐました。思ひ出させてくれたのは、タイちやんです。『儀式』はまだ読んでゐませんでしたから、ネット注文したらすぐ届きました。なんと本代金一円、送料合計二五一円で購入。

『殿山泰司のしゃべくり105日』によると、「ロバート・B・パーカー 『儀式』 ―オレのだーい好きなボストンの私立探偵スペンサー・シリーズの第七弾や、今回は地元のボストンでバリバリ働いてくれはる。愛人のスーザンや相棒の黒人ホークも、いつもより出てるシーンが多いよ、そして、売春とはなんだ? といふ大きな問題が提起されとる、ハードボイルド・ファンでなくても必読やと思ふけどね」。

確かに思ひました。そもそも、家庭を嫌つて離れ、売春をせざるを得ない情況がつくられることが問題だとぼくは思ひました。父親と母親の問題ですね。しかし、現実問題として、苦境に陥つてゐる少女の売春行為を、「商品、製品でしかなくても、価値ある存在になる一つの道だ」と認め、その現実から逃れられない少女に、「おれたちとしては、今までより回数が少なくてよけいに金が入るような体の売り方をするチャンスを与えるのが精一杯、ということだ。」といふ主人公らの言葉に、正直驚きました。

かうして、スペンサー探偵、「彼女が自分の問題を解決できるよう、解き放してやることが、おれの仕事だ。」と言ひつつ、高級娼婦への道を開かうといふのです! しかも、もし、売春を醜業とするならば、「いろいろな種類の醜業がある。比喩的表現を用いれば、その種類はほとんど無限といえる。自尊心でなく金のために物事を行なう人間はすべて含まれることになる」。かう言ひ切つてしまへるものか。お国柄の違ひなのか、著者の考へなのか、問題の深さ、深刻さを思はざるを得ませんでした。

 

ところで、今日は、決断をいたしました。三月の「中仙道を歩く(軽井沢宿~小田井宿)」は、今日廿日を皮切りに、廿六日、廿八日、廿九日と四日行はれるのですが、休むことに決めました。今日を逃すと、月曜日の二十四日まで連絡できないので、苦渋の選択でした。

ぼくは、廿六日(水)を予定してゐたんですが、今の調子でいくと、あと一週間で、一日長時間歩くことに自信が持てないと判断したからです。しかも、翌日の廿七日は、アブレイション外来に通院してまた検査を受けなければならないのです。

 さらに、手術後わづかしかない四月の「中仙道を歩く(坂本宿~軽井沢宿)」も、手術の結果次第でどうなるかわかりません。この回も思ひ切つてお休みし、五月の回(廿八日を予定)に間に合ふやうに体調を整へるとともに、できることなら、五月中旬に、坂本宿から小田井宿まで一人で歩いてみようかと考へました。二回分を一日で歩けるかどうかわかりませんが、かうすれば、幸か不幸か坂本宿から順番通りに歩けることもたしかなんです。もちろん、『中仙道紀行』は 書き続けます。はたして、運命や如何に?

 

今日の写真:けふのぼくと同じやうに横たはるラム。