三月廿五日(火)乙未(旧三月廿五日) 晴れ、とても暖かい

朝食後、定例の歯科通院でした。少し痛いくらゐにクリーニングしていただき、さつぱりしました。よくなるといふより、これ以上わるくならないやうに、現状維持するのが今の努めですよと言はれました。歯はもちろん、身体もそのやうに覚悟しなければなりませんよと言はれたやうな気がしました。

 

さて、今日、妻は、ひとりで彼女の叔母ツネのお墓参りに行きました。お墓は、東海道線の大磯駅の近くの大蓮寺にあります。そこには、ぼくも以前妻と一緒に訪ねたことがありましたが、聞いてみると、現在は、「関野家之墓」の墓石(今日の写真参照)はなく、共同墓地とでもいふんでせうか、合葬された墓に移されてしまつてゐたのです。つまり、関野家が絶えてしまつたといふことのやうなんです。

妻から、関野家の話を今までも時折り聞いてきましたが、今晩は、改めて詳細に聞き出して、その全貌を理解いたしました。関野家が絶えてしまつたいきさつを、どこから書いたらよいか迷ひますが、まづ、お墓からはじめませう。今は無きお墓です。

そのお墓は、妻の母方の祖父母にあたる、船大工だつた関野安太郎・ミヤ夫婦が、三十一歳で病没した息子信太郎のために建てたものです。亡くなつたのは敗戦前の昭和十七、八年頃のやうです。船大工の仕事を継いで、二人の娘の父親でしたが、今でいふガンのやうでした。もう余命幾ばくも無いと知つた医者が、家で最期を迎へさせたらどうかといふので、その日の朝、母親のミヤと信太郎の妻と妹のシヅが迎へにいきました。しかし、病院へ着くと、すでに亡くなつてゐたのでした。

まづは報告と、家に帰つてみますと、安太郎が、「おい、信太郎が、ただいまと言つて帰つて来たぞ」と叫んでるではありませんか。三人は不思議に思ひながらも、真相を告げますと、安太郎は腰を抜かして寝込んでしまひ、息子のあとを追ふやうにして、たうとう一年後に亡くなつてしまつたのです。

残されたのは、安太郎の妻のミヤ、長女のミツ、次女のシヅ、そして三女のツネ。信太郎の妻はその後二人の娘と家を出ました。

ミヤは、心穏やかな、何事にも無頓着な人で、ぼくも一度お会ひしたことがありました。九十三歳で亡くなりました。

ミツは、結婚して尾崎姓となり、二男、一女を儲けましたが、次男は夭折しました。戦死した夫の尾崎については、正月十二日の「日記」に記しましたが、再録します。

「悲惨なのは、妻の母方の伯母の連れあひです。ぼくも、戦死したことは聞いたことがありましたが、ある時、その真相を知つてたいへんショックでした。戦後、小さな木の箱を持つてきてくださる方がありました。あなたの夫は死んだ、これが遺骨代はりです、と差し出した箱の中身は小さな石ころでした。こんな事言へないのだがと、その人は、水も食べ物もなく餓死したこと、お互ひに死者を喰らつたかもしれない、そんな状況だつたと伝へたのです。伯母さんはその時から寝込んでしまはれたといひます。」

しかし、ミツはその後気丈に生き、亡くなつたのは九十九歳でした。

シヅは椎野駒吉の妻となり、駒吉四十五歳の時に美知子を生みました。これがぼくの妻です。そして、九十二歳で、美知子に看取られて亡くなりました。

そしてツネです。九十歳で二宮の施設で亡くなりました。そこへは、生前、妻が何度も見舞ひに行つてゐました。なにせ、結婚してすぐ別れ、一人で過ごしてこられ、最後に一人残されてゐたからです。さらに、死後も墓参りを欠かせませんでした。が、その墓が無くなつてしまつたのです。 

つまり、「関野家之墓」には、安太郎、ミヤ、信太郎、ツネの四人がはいつてゐたわけです。ミツは尾崎家の墓、シヅは椎野家の墓にはいつてゐます。問題は、「関野家之墓」を誰が継ぐかです。今までの説明で、「系図」が書き出せたでせうか。一番近いのは、ミツの子たち、とくに長男でせうね。なぜなら、関野家の土地家屋のすべて、それに、ツネが住んでゐた分も相続したからです。当然、「関野家之墓」をかたちとしても守るべきで、それを撤去してしまつたのですから、関野家を断絶させたと言つて言へるのではないでせうか。

まあ、お家断絶といふのは、子孫がゐなくなることですから、厳密に言へば、ミツの長男自身が継いでゐるわけで、ただお墓がなくなつたにすぎません。

ただ、ぼくの妻からすれば、母方の祖父母と伯父・叔母の墓ですから、その墓参りは当然といへば当然な行為ですが、行かなくなれば誰からも忘れ去られてそれでおしまひといふことになります。かうして、お家断絶、といふか、少なくとも一つの家名が消えていくんですね。

 

ところで、旧関野家の駅よりに、延臺寺といふお寺があります。そこには、あの有名な虎御前の供養塔と〈虎御石〉があるんです。曽我兄弟の兄の十郎と恋仲となつた虎女です。

それに、大磯には、めつたには食べられないくらゐ美味しいさつまあげを作るお店があります。

 

今日の写真:今朝通院した青島歯科医院全景。今は無き「関野家之墓」。延臺寺と虎御前の供養塔。それに、妻のお土産、大磯の井上蒲鉾店の“さつまあげ”。これを買ふだけのために大磯まで行く価値ありの絶品です!