四月二日(水)癸卯(旧三月三日) 晴れのち曇り

眠かつたけれども、朝食前にはテーブルについて、今日の予定をかみしめました。よそ見をしないで、今日こそは、『野ざらし紀行』を一気に読み進んでしまはうと思つたからです。その心意気を感じてくれたんでせうか、なんと朝食はご飯でした。たらここそありませんでしたが、生卵をかけ、海苔とわさび漬けの食事でした。ありがたく感謝していただきました。

その甲斐があつてか、夕方までに、“返し縫ひ”をしながら、さらに四頁読み進むことができました。それで、ちよいと気がゆるんだもんですから、蔵書の中から、芭蕉について書かれてゐる本を探してみました。

ありました。まづ、芥川龍之介の『枯野抄』と『芭蕉雑記』です。『枯野抄』は、死の床についた芭蕉をめぐる物語ですが、『芭蕉雑記』は、評論とでもいふんでせうか、とても難しくて、ぼくには歯が立ちませんです。芥川龍之介自身も「作家の余技として以上に、単なる俳人としても優に一家をなすほど」であつたといふのですから、これはほとんど芭蕉研究書といつてもいいんぢやあないでせうか。

また、島崎藤村も芭蕉には関心を向けてゐて、『藤村随筆集』の中で、「芭蕉の一生」と題して言及してゐますが、これはたつた二頁だけの小文です。でも、面白いことを書いてゐます。

 

「芭蕉が閑寂と簡素とを愛し、半ば僧侶の如き生活を送り、ある時は幻住(庵)の扉を深く鎖し、ある時は旅で死のうというほどの覚悟を抱いて出発したなぞは、殆んど生命懸けと見て可い。・・

   芭蕉は自分で自分の生活の様式を発見し、また自分で創造した生活の芸術の中に厳粛な最期を遂げた。

   一方から見れば、芭蕉はあれほど簡素を愛し清貧にに甘んじた人であるにかかわらず、非常に贅沢な人であったような気がする。芭蕉の簡素は贅沢な簡素で、その貧乏は贅沢な貧乏のような気がする。・・本当の貧乏人から見たら芭蕉の一生は貴族的と言わねばならない」。

 

さうでせう。「贅沢な貧乏」こそ、芭蕉ならではの芸術的人生だつたとぼくも思ふものであります。はい。

さらに、良寛さん研究で有名な相馬御風の『一茶と良寛と芭蕉』がありますし、吉田絃二郎の『わが旅の記』にも、芭蕉に因んだ紀行文が収められてゐます。

最後に、保田與重郎の『芭蕉』があります。まだ読んではゐないんですが、芭蕉没後二百五十年の年(昭和十八年)に書かれたもので、これについては、「芭蕉への敬慕と確信の念から書下ろされた一冊」であり、「知識人の教養的文芸鑑賞とは異なって、文人の存在理由を根底から問うた『思想の書』といってもいい」と説明にあります。なんだか、読むにも覚悟が必要な内容のやうです。これは、いづれ、時が満ちたら読むことにしませう。

もちろん、芭蕉に関する本はその他にも腐るほど出てゐます。でも、ぼくはあへて、片隅をほじくるやうなのが好きなんですよね。困つたものです。

 

今日の写真:ラム、けふの一枚。