四月三日(木)甲辰(旧三月四日) 雨

芭蕉の『野ざらし紀行』を読み終へました。後半は読み進むのが早かつたです。芭蕉の書く文字に慣れてきたからでせう。しかも、漢字仮名交り文ですから、『竹取物語』や『土佐日記』のやうに仮名ばかりの作品よりずつと読みやすいのです。あまり得意ではない俳句も、紀行といふある特定の場所で詠んでゐるものばかりですから、たいへん勉強になりました。中でも気に入つた一句は、「かしの木の花にかまはぬ姿かな」ですね。前から知つてゐた「やま路きて何やらゆかしすみれそう」といふ句もありました。

『野ざらし紀行』は、芭蕉四十一歳の秋に江戸深川を出発し、門人の千里(ちり)を伴つて東海道を上り、伊勢神宮に詣で、故郷の伊賀、大和、吉野、山城、近江路、美濃などをたどり歩いて、翌年四月の末に江戸に帰りつくといふ、大旅行の「旅の記」で、芭蕉の最初の紀行文といはれるものです

『野ざらし紀行』そのものは、帰庵後、その年の秋ごろまでにはできあがつたと考へられてゐますが、完成までには、数年を要したやうです。ぼくが読んだのは、「天理図書館所蔵本」(芭蕉自筆 鯉屋伝来)ですが、それは、芭蕉の有力な後援者だつた杉山杉風家(鯉屋と称した魚問屋)に伝来してゐたものが、杉山家が窮迫した際に借金の質物として流れたものでした。天理図書館で買ひ取つたわけです。

話はそれますが、この天理図書館、すごいのです。いや、ぼくは訪ねたことはありませんが、濱田泰三編『やまとのふみくら 天理図書館』(中公文庫)を読んで驚きました。解説には、「大正末期、一宗教団体の文教施設として大和の地に設立された天理図書館は、二代真柱中山正善氏の驚異的な図書蒐集活動を経て、現在では稀書・秘籍の宝庫として世界的にも著名な図書館となっている」とあります。古今東西、仏典はもちろん、聖書、コーランはじめとする、垂涎の作品のオンパレードです。江戸末期から明治時代にかけて、我が国の国宝級・重要文化財級の作品が海外に流れたことを思ひあはせますと、ぼくは、立派な仕事をしたと思はざるを得ません。そして、その数ある作品が今に出版されてゐるのが、「天理図書館善本叢書」なんです。古書市で、一冊八百円で出てゐた時に、ぼくはまとめて十冊ほど買ひ込んでしまひました。そして、今やかうして役立つてゐるわけなのであります。はい。

ところで、芭蕉の『野ざらし紀行』には、目的があつたやうです。一つは、新境地探求のため、二つは、宗匠として上方の門人たちを訪問するため、そして、前年没した母親の墓参りのためであつたと考へられてゐます。旅に出る前年には、深川に居を移して、俳諧に対する考への転機を期するのですが、その具体的な現れが野ざらし紀行となつたといへると思ひます。

 

「芭蕉はこの新奇を追う流行の俳諧の空しさを覚り、『人の耳目をよろこばしめて衆と共に楽』しむ宗匠の生活のはかなさを反省した。俳諧を生活の手段としてではなく生きる方法として考えなければならないと決意した。それはまず世俗を去ることであった」(『芭蕉紀行文集』岩波文庫、解説より引用)。

 

深川に隠棲しても、門人は大勢押しかけたやうですから、この「決意」も貫くのには限界があつたことでせう。そこでの旅立ちであつたのですね。

 

今日の写真:旺文社文庫版の『奥の細道』表紙と、影印本を読むのにはとても行き届いた、同じ旺文社文庫版の日本の古典の数々。『やまとのふみくら』と『日本文庫めぐり』表紙。