四月四日(金)乙巳(旧三月五日) 曇り、午後一時激しい雷雨、のち晴れる

今日は、待ちに待つた《「いくいく会」・「仙道会」合同歴史散策会》改め、《史策会》の例会でした。その第一回目となる前回は一月の卅一日、〈築地・明石町小さな町歩き〉と題して、小さいどころか大風呂敷を広げたやうなと思はれた二十か所を巡り歩きました。

それで驚いて、「これはトウシロの技ではないですね。計算しつくされてゐます。泉お姉さまには感服いたしました。」とかなんとか感想をもらしましたが、いやいや、まだまだ泉お姉さまにも、大江戸の奥深さにも、甘い考へでゐたことを、反省とともにいやといふほど思ひ知らされた今回の《史策会》でした。

何はともあれ、まづは、今回の散策の「レシピ」を紹介いたします。なんと、レポート用紙四枚にわたります。覚悟をしてご覧あれ。いや、ぼくたちは、それを一つ残らず訪ねた、いや、歩かされたのでありますよ・・トホホ。

尚、「レシピ」の中の説明を省いたところもあります。【・・】内はぼくの追記と感想です。

 

《史策会》2 〈江戸・東京四百年史〉

平成二十六年四月四日(金)今冬は三十年ぶりの寒さとか。三月二十六日(水)さくらばな開花。

実施踏査日 三月七日(金)晴れ→曇り→小雪

  1. 築地本願寺境内史跡(築地本願寺は元和三年〈一六一七年〉に創建された京都西本願寺の別院で、正式名称は、浄土真宗本願寺派本願寺築地別院。本堂内は桃山様式)  *森孫右衛門供養塔(注一) *間新六供養塔 *酒井抱一墓 *土生玄碩墓 *九條武子夫人歌碑(竹下夢二風のびじん。西本願寺門主大谷光導の次女、男爵九條良致と二十一才の時に結婚した。):【すべての写真を載せられないのが残念です。以下同様。】

  2. 浄土真宗本願寺派法重寺 *芭蕉句碑 何が彫られているかよめん! だれかよんでくだされ・・【お任せあれ、これは「大津絵の筆のはじめは何佛」と読むんぢやい!】。*紙本墨画淡彩瀑布図(一般には公開されてはおりません)。【中央区区報に掲載された記事が添付されてゐますが、省きます。あしからず。】                                   

  3. 軍艦操練所跡(江戸幕府による最初の本格的な教育機関。)

  4. 築地ホテル館跡(操練所の跡地に建てられ、一八六八年(明治元年)開業。木造二階建、客室一〇二室。)【印刷された錦絵のコピーをご覧下さい、とありますがこれも省きます。】

  5. 波除神社(おもしろい神社です。天水鉢あり、築地ならではの供養塔有り。つい最近、ひとりものの獅子頭に嫁が来ました。)【玉子塚、すし塚、海老塚、鮟鱇塚など有り!】

  6. 海幸橋(親柱。築地川支流。いつの間にか埋め立てられちゃって・・。・・・中央市場内に入ります。事故にご注意して下さい。市場内は怪我をした方がのろまでわるいとされています。)

  7. 浴恩園跡(老中松平定信が作庭した名園。今じや魚だらけよ。)

  8. 海軍発祥の地(浴恩園の跡地に設置されました。勝海舟の勤務地。さらに同じ場所に魚河岸水神社が有る。三ツが同じ地に・・。水神社は、祭りが有ります。牛車が出現します。場内のみで。)

  9. 割烹 新喜楽外観(谷崎や向田さんも・・夜には各界からのお客様。新喜楽裏口からは新橋芸者がさ! 午後八時頃になりますと、そこいらじゅうにある料亭の玄関には、おむかえの高級車が連なり、仲居さんは大いそがしです。おなじみさん。中にはいちげんしてことわられたとわらいばなしのあるんだよ。あずまおどりじや! しんばしえんぶじょうじや! その芸はプロ級よりすぐれていました。私はソロリと裏から入っちまったのです。)

  10. 東京盲唖学校跡(日本点字発祥の地。重要ポイントです。文明開化の先端です。《史策会》の我々は、もと海軍の用地に入っています。海軍兵学校寮、海軍軍医学校跡は、国立がんセンターの裏手です。きょうはゆきません。)

 さて、お浜ご殿(浜離宮庭園)へ向いましょう。

 

といふところで、今日の報告は、途中ですが終はらせていただきます。明日をお楽しみに! なにしろ眠いのです。すみませんです。おやすみなさい。

 

今日の写真:築地本願寺境内の満開の桜のもとで記念写真。法重寺の芭蕉句碑。波除神社。そして、東京盲唖学校発祥の地跡で教へを下される泉お姉さま先生です。