四月九日(水)庚戌(旧三月十日) 晴れ

今日こそは安静にしてゐようと思つてゐました。もちろん、入院に必要なものを書きとめ、準備をすすめながらですが、そこに、妻が来て、「ちよいと力仕事があるけど手伝へる?」といふんです。

恐る恐る聞いてみると、近所の通りに金属製の本棚が置いてあり、聞くと処分するものだから持つて行つていいといふのださうです。欲しいだらうから一緒に取りに行きませんか、といふお誘ひでした。ぼくは、はい、と一つ返事で台車を転がしてついて行きました。福喜湯のはす向かひの塗装店が改装するやうなのです。ペンキで白く塗装されてゐましたが、まだまだ使へる丈夫さうな本棚です。おしむらくは、棚板を止める金具がいくつか欠けてゐたのですが、書庫に据ゑてみましたがまつたく問題ありません。ありがたいことです。

さういへば、妻とはよくあちこちから家具を拾つて帰つたものでした。横浜にゐたころ、道端の大形ゴミの中から、ちいさな木製の卓袱台をみつけ、それは今も重宝してゐます。また、たまたま清水に遊びに行つたときには、草薙駅ちかくのマンションに葦(よし)障子が四枚捨ててあつたのを、すぐ運送屋を頼んで伊豆の家に送つてもらひました。これも、現在、屏風のやうにして使用してゐます。東京に来ては、夜の散歩のときに折りたたみ式のテーブルを拾ひ、パソコンの横において目下使用中です。こういふことにかけては、ぼくも妻も目ざといんです。はい。

ところが、ぼくがかういふと、妻はすかさず、「それ以上にたくさんの不幸も拾ひましたけどね!」と、かうですよ。ぼくも言ふんぢやあなかつたと思ひました。

今日はまた、ラムの通院日で、午後“りお動物病院“へつれて行きました。シャンプーとカットもお願ひしてあつたのですが、それは様子をみてといふことでしたが、やれるとの判断なのでお願ひしました。二時間ほどしてきれいになつて、いい匂ひをさせてかえつてきました。けれど、先生が言ふのには、肝臓の腫瘍(恐らくはガン!)のため、この夏を越せないだらうといふのです。覚悟はしておきたいと思ひました。

それで、夜の散歩は、妻とともにラムを見守るやうに、いつものコースを歩いてきました。心持ちたどたどしい歩みです。最期を迎へるのなら、ぼくがゐるときなつてほしいと思はざるを得ませんでした。

入院のための読書は、くづし字の勉強を兼ねた『笈の小文』と『奥の細道』。嵐山光三郎『芭蕉紀行』。それに、気晴らしのため、以前にも読んだ、D・バグリイの『高い砦』を持つて行くことにしました。ほんとうは、面白可笑しいものを読んで過ごしたいのですが、一応、お勉強の身なもので、少し見栄を張つてしまひますです。はい。

 

今日の写真:拾つた本棚と帰宅後のラム。病院から歩いて帰つてきたら、階段が途中で上れなくなつてしまひました。