四月十二日(土)癸丑(旧三月十三日) 晴れ

待ちに待つた朝がやつてきました。けれども、すぐ地獄が去つたわけではありませんでした。からだの痛みと吐き気が引かず、また、股の付け根に挿入されたカテーテルのあとが完全にふさがらないと、「血液サラサラお薬のワーファリン」を飲んでゐる身には、命取になつてしまふから、身じろぎもゆるされないのです。

それ故に、人一倍の確認を経て、止血のための帯といふか強力なテープを取り去つていただけたのは、配膳車がやつてくるといふ、七時半にならうかといふころでした。昨日手術をしてくださつた医師のおひとりで、けつこう無造作にべりべりとはがしてしまはれるのには、ぼくのはうがはらはらしてしまひました。ガーゼの上に五センチ四方のテープがはられた箇所には赤い血のあとが一点。「この点以上に赤い点が大きくならないやうに注意してください。足をまげて、そしてのばしてみてください。いいやうですね。」とあつけない言葉を残して行つてしまはれました。次いで、看護婦さんが尿道から管をはずしてくれて、これで、一応自由の身になつたといふしだいであります。

ひとつ、ふたつ、地獄の責め苦から解放されました。足と腰を注意深く屈伸し、動かしますと、ぎこちない動きがしだいに柔らかになつてきました。腰の痛みはすぐにでもおさまりさうです。人間、からだもあたまも動かさなくてはたちまち凝固して、ほんらい持つてゐる働きを失ふものなんですね。また、かうもからだが痛いと、あたまの働きも機能停止。昨夜は、本を読むどころか、ウオークマンでジャズでも聴かうかと準備してきたことも、役に立ちませんでした。それでも、春風亭柳昇の「カラオケ病院」と柳亭痴楽の落語をききましたよ。地獄にホトケとはこのことでせうか。何度きいてもおかしいのです。

 

問題なのは、吐き気です。それでなくても病室が乾燥し、口の中が乾いてゐたので、水分をたくさんとりました。ところが、それが引き金になつて、何度も吐いてしまふのです。もちろん、朝食は受け付けませんでした。そのうち妻がやつてきたので、現状を伝へるとともに、昨日の手術後の状態を詳しく聞いたのであります。

すると、看護婦さんが、「心電図とレントゲンを撮つてきてくださ~い」とやつてきたのですが、ぼくはふらふら。それでも妻と手を取りあつて下階に行き、すませてくることができました。

そこで、ぼくは、考へたのです。やつとあたまに正常な血液が巡り始めたやうでした。この吐き気の正体は、「眠くなる薬」のせゐに違ひありません。早く体内から出してしまふためには、すみやかな排尿しかありません。ラシックス(利尿剤)はちやうどあるし、飲んでしまはうかと思つたところへ、看護婦さんが、「中村さん、レントゲンで見ると、心臓が肥大してゐるので、ラシックスを点滴しますね」と、かうですよ。ぼくの診断が正しかつたのです。すみやかな排尿は、解毒と心臓の負担を和らげる一石二鳥なわけですね。心臓が重いときに、ラシックスを余分に飲んで急場をしのいだことがあつたのを、ぼくは決して忘れてゐたわけではなかつたのであります。はい。

その後の排尿の経過は、「測尿チェック表」に歴然としてゐます。みるみるからだが楽になり、吐き気も収まつていきました。しかし、昼食も食べられませんでした。大好きなお肉なのに、見ると吐き気がよみがへつてくるんですね。好き嫌いも体調に左右されるといふ証左でせうか?

そんなお肉とにらみ合つてゐるところに、妹と姪の彩ちやんが来てくれたのです。見舞ひ品はイチゴでしたが、それには食欲がわき、ほとんど食べてしまひました。すると元気がでて、喋りはじめると、こんどは妻が「うるさい。静にしたら!」。出鼻を挫かれた思ひでありました。

かういふわけで、計画してゐた読書はことごとく挫折。それで、新たなる読書はやめにして、『野ざらし紀行』と『鹿島詣』を復習がてら読み直し、それに、冒険小説の『高い砦』をちらちら読みだしてみました。

ところで、夕方には食欲がもどつてきましたので、期待してゐたら、夕食は、ぼくの一番にがてな青魚の焼き物でした。ああ、お昼のお肉がなつかしい!

 

今日の写真:見舞ひにきてくれた、妹と姪の彩ちやん。昼と夕の東京タワー。