五月二日(金)癸酉(旧四月四日・八十八夜) 晴れ

夕べも、妻の様子を窺ひうかがひして、眠りが浅く、朝の散歩と朝食後、やつと横になつてしばらく眠ることができました。

ですが、このまま共倒れでは最悪なので、ぼく自身がまづ体力をつけなくてはなりません。そこで、午後のラムの散歩につづいて、母に倣つてひとりで散歩に出ることにしました。

もつと早く家を出るはづでしたが、ラムがなかなか起きず、その散歩が遅くなつてしまひました。しかも、オシッコをしただけで、朝もさうでしたが、散歩の距離も時間もこのところ極端に少なくなつてきたのです。昨年は、さういへば、五月に入つたばかりの今頃に、熱中症にかかつて寝込んでしまつたのでした。この夏を越えるのが難しいと動物病院の先生がおつしやつてゐるので、とくに気をつけてあげたいと思つてゐます。

いや、ラムのことばかりではないのです。今日は、そして今日からは、ぼく自身の体力回復強化をはかるために散歩をはじめることにしたのです。

家を出たのは三時四五分。京成電鉄のお花茶屋駅に向かつて歩き、駅の手前の踏切を越えて、市川新道の交番の前に出ます。その先の、昔は宝木塚町と呼んでゐた路地をくねくねたどり行くと、さうだ、実はこの辺りに、中学生の時に好きだつた女の子の家があつたのを思ひ出しました。いや、そんな邪念を振り払つてさらに歩きますと、例の“曳舟川”だつた曳舟川親水公園通りを横断し、水戸街道にぶつかりました。この左角に都バスの車庫があります。

 あとは葛飾区役所までは一直線です。寿司の“銚子丸”があり、その先の右手に、“葛飾赤十字病院”が見えてきました。ここで妹が生まれたのが思ひ出されます。裏の田んぼの畦道を伝つて病室に入つたんですが、どうしてそんなところから入つたのかは覚えてゐません。いよいよ葛飾区役所です、がその前に“葛飾FM”のスタジオの建物が目にとまりました。いつも楽しませていただいてゐますから、思ひ切つて呼鈴を押しました。すると女性と男性がにこやかに向ひ入れてくださり、ちよつとお喋りしたら、“葛飾FM”の番組表とステッカーをくださいました。

区役所では、案内所を探し、そこで、大きな“かつしかの地図”をいただきました。これから歩いたところを記録するためには必要だつたからです。あ、さうだ、我が家から区役所までの歩数はちやうど三〇〇〇歩でした。時間は四時一五分、たつた三十分なのでした。

木蔭で少し休憩したのち、いただいた地図を参考に、立石にある“葛飾区伝統産業館”を訪ねることにしました。聞いたことはありましたが、実際に訪ねるのははじめてです。路地の突き当りに我が中村家の墓がある法善寺をちらりと目にとめながら、葉桜になつてしまつて、薄暗い桜並木の商店街を抜けきつたところが駅前商店街のはじまり、そのなかほどを左に曲つたところに“葛飾区伝統産業館”はありました。なんだか、寄席を思はせる建物です。お二人のおばちやんが案内してくれました。しかし、うるさくまとはりつくこともなく、およそ四十五人の職人の作品をじつくり見ることができました。“江戸切子”や“打刃物”、“和竿”なんかいいなと思ひましたが、ただ、欲しいものはありませんでした。お箸も数人の方が出品してゐましたが、ぼくが作るお箸のはうが使ひやすいと率直に思ひました。

 まだ早いといふのに人で賑はふ焼き鳥屋がひしめく立石駅前の路地をどうにかやり過ごし、最後の目的地を目差しました。岡島書店です。奥戸街道が平和橋通りにぶつかる手前、渋江公園のはす向かひにある古本屋さんです。たまに訪ねます。平台に、『米欧回覧実記』(単行本全五冊)のうち一巻と二巻が一冊百円であつたんですが、これは悔しいけれどやめました。せめて五冊が揃つてゐたらよかつたですが、それなら一冊何百円にもなつてゐたでせう。そこで、お聖さんの川柳本と小沢昭一オトウサンのお道楽本で我慢しました。

さて、疲れてきたので、渋江公園からは、綾瀬駅行バスに乗り、堀切二丁目で下車。家に着いたのが六時二五分。ちやうど七〇〇〇歩でした。すぐシャワーをあびましたが、今日はあまりいい汗が流せませんでしたね。体力回復強化の散歩、まだ一日めですから、大目に見ておきたいと思ひます。でも、夕食とビールがとても美味しかつたですから、それだけでも歩いた甲斐がありました。めでたしめでたしです。はい。

 

今日の写真:悲しさうに遠くを見るラム。かつしかFMステッカー。葛飾赤十字産院。葛飾区役所(以上、二頁に掲載)。葛飾区伝統産業館。岡島書店と購入した新書本二冊。それと、たまちやんからいただいたお気に入りの手拭ひ。