五月六日(火)丁丑(旧四月八日) 終日曇天、肌寒い

体力回復強化散歩、中一日をおいての第四日。さらに遠くへ足をのばしました。柴又で自信がつきましたからね、今回は都心に向けてどこまで行けるかに挑戦いたしました。

浅草をめざしたのです。地図で見ると、柴又とさう変はりはないのです。でも、浅草といへば、出かけるときは、幼い時から、必ず亀有駅発、堀切菖蒲園駅経由、浅草寿町行の京成バスを利用してゐましたから、歩いて行くなんて思ひもおよびませんでした。しかし、今、この歳になつて、街道歩きの実績からいへば、決して無謀なことではありません。

 そもそも、いつか申し上げましたけれど、東京は狭いのです。例へば、京成電鉄の堀切菖蒲園駅は、京成上野駅からたつた九キロしかないのです。それは、かつて南伊豆にゐた時、南伊豆の我が家から下田まで十二キロほどあり、それを遠いとも思はずに、自動車で、ほぼ毎日行き来してゐたのですが、その経験からすると、東京はなんと狭いことかと思ひ至つたのであります。感覚的には、上野なんて、下田よりずつと遠いやうに感じてゐたからです。

ですから、堀切の家に帰つてからも自動車を使つてゐるわけですけれども、ガソリンを入れる回数が極端に少なくなりました。伊豆では週に二回ほどでしたが、こちらでは、二ケ月に一回入れればよいはうです。車屋さんからは、もつと乗らないとバッテリーがあがつてしまひますよとよく言はれます。

 

ところで、今日は、九時三〇分に家を出発。堀切菖蒲園駅前を経て、堀切橋を渡り、東武鉄道堀切駅の跨線橋を渡つて線路沿ひに南下しました。ながめはよくありませんが、荒川の堤防の上ではあまりにも寒かつたからです。右手は住宅が密集してゐます。しばらく歩くと、その密集した家並みにはさまれた路地に入り、鐘ヶ淵駅に到着です。

ここは、間違ひがなければ、小津安二郎監督の『東京物語』(一九五三年)の舞台となつたところです。川本三郎さんが、小津監督はこの映画を製作する前後に、永井荷風の『断腸亭日乘』を読んでゐて、この作品の舞台設定にそれが影響してゐるとおつしやつてゐるさうですが、たしかに、永井荷風の影響ならばふさわしい場所だと思はれます。

その踏切を越えると、鐘ヶ淵通りになりますが、ぼくは、この際ですので、細い路地をたどつてみることにしました。踏切を渡つたすぐ右に入る「西町買物通り」を東向島駅に向ひました。そのまま行けば駅に直行してしまひますが、線路にぶつかつたところで左折し、昔の「玉ノ井」のメインストリートである「いろは通り」をめざしました。といふより、ぶらぶら右左の路地をのぞきながら歩いてみました。そして、「いろは通り」に出たところで、“玉ノ井カフェ”なる小さな喫茶店を発見。まあ、コーヒーでもいただこうかなと思つて入つたところが、まあビツクリ! ずばり、“玉ノ井”なのであります。

「寺島・玉ノ井まちおこし委員会が運営するコミュニティカフェ。玉ノ井カフェで作品の展示やイベントをやりませんか?」とあります。いい雰囲気です。ご主人(?)の佐藤直子さんが話してくれたことによると、みなさん玉ノ井が好きで好きで、集まつて何かせんことには、おさまらないやうなのでありますよ! 棚には、永井荷風はじめ、多くの文人の書物なども並んでゐます。年に何回か、古本屋さんがそれぞれ出品して古書市も行はれてゐるやうなのです。そこで、ぼくは、荷風ブレンドを注文。おいしく飲んでゐるうちに、あれよあれよといふまに、五十分も長居してしまひました。

実は、この界隈を歩いてみようと思つたのは、川本三郎さんの、『私の東京町歩き』(ちくま文庫、その中の「ラビリンスの残る墨東の町~玉ノ井、鐘ヶ淵」の章)を読んだからなんですが、しかし、これでは、また“郷土の博物館”の二の舞です。先をいそぎました。

東武鉄道「玉ノ井駅」変じて「東向島駅」となつた駅前を通過し、再び路地をたどつて、“向島百花園”に出、さらに墨堤通りに合流し、いつもバスからながめてゐた“言問団子”でまた休憩。いや、はじめての休憩です。そして美味しいお団子をいただきました。三ツあつたのに、あつといふまに口に運んでしまつたので、写真には残りの一つしかカメラに収めることができませんでした。あしからず。

桜橋を渡るのも、考へたらはじめてでした。背後に、朝から頭の部分が雲におほはれた東京スカイツリーが見えてゐます。隅田川べりに出ると全貌はあきらかになるので、よく見ると、形がどうも不自然ですね、片寄つて見えます。全体的には均整がとれてゐるんでせうが、気持的には落ち着かないものがありますね。

花川戸から、川をあとにし、二天門から浅草寺に入りました。時間は一二時五五分、一一六〇〇歩でした。人でごつた返す境内を横断し、木馬亭の前を通り、牛筋専門の屋台が建ち並ぶ一角を過ぎると、その右角のお店が、ぼくが今日選んだ“天麩羅 天健”さんなんですが、やや、並んでゐるんです。見渡せば、あちこちの店にも人が居並んでゐます。さういへばまだ連休が終はつてゐなかつたんですね。あへッ、ですね! 

それで、あてもなく、雷門通りまでやつてきますと、角に、尾張屋さんが目についたので入ることにしました。すると、永井荷風さんがぼくのはうをにらんでゐるんです。いや、よく見るとし写真でしたが、よほどお腹がすいてゐて、幻を見てしまつたのかも知れません。ここで、一二三九〇歩でした。

もうあとは帰るだけです。そこで、以前上野駅前から移転してきた古本屋さんをのぞいて見ようと訪ねてみたら、ないんです。跡形もなく、断りもなく! あれ~、どうしてしまつたのでせう? 後ろ髪を引かれる思ひでしたが、都営浅草線の浅草駅から乗車、青戸駅乗り換へで帰路につきました。我が家到着は、午後二時五五分、一五四三〇歩でした。すぐ、ラムを散歩に連れ出したので、それを含めれば、一六六七〇歩になります。

 

昨夜、小沢昭一オトウサンの『東海道ちんたら旅』(新潮文庫)を読み終はりました。期待に違はず面白かつたです。お勉強にもなりました。ただ、オトウサンの記述では、訪ねた場所が特定できないんです。地図を開いて、目をこらしても、どこにあるのやらわからないのです。ぼくも行きたいなと思ふんですが、わからない。いや、もしかしたら、これもオトウサンの、おれのやうなスケベになるなといふ、親心なのでせうかね?

 

今日の写真:鐘ヶ淵駅。「玉の井町会 消火器」。玉ノ井カフェ。玉ノ井の路地。向島百花園。言問橋とスカイツリー。言問団子。そして、雷門通り、「尾張屋」さんの永井荷風。