五月(皐月)十一日(日)壬午(旧四月十三日) 晴れ 

良い天気の一日でした。

群馬県安中市では、今日“安政遠足(あんせいとほあし)”が行はれたと思はれます。はつきりしないのは、ニュースで流されてゐないので、確認できないからですが、実に良い天気です。ネットで“安政遠足”を検索したら、昨年までのその様子がうかがはれますが、なんともにぎやかなお祭り騒ぎで、まるで仮装行列ですよ! 

“安政遠足”は、もともとは、安政二年(一八五五年)、当時の安中藩主板倉勝明が、藩士の鍛錬のために、藩士(この時九十六人)を、安中城から碓氷峠頂上の熊野権現神社まで走らせた徒歩競争なんです。その時、着順を記録させてゐたらしいんですが、なんと昭和三十年(一九五五年)になつて、碓氷峠の茶屋から、『安中御城内御諸士御遠足着帳』なる記録が発見されたのです。早速、「安政遠足保存会」が組織され、昭和五十年(一九七五年)からは、国内最古のマラソン、“安政遠足 侍マラソン”として復元され、毎年五月第二日曜日に開催されてゐるといふことなんです。

今年は、第四十回、競技は、坂本宿まで約二十キロの「関所コース」と、熊野権現神社まで約三十キロの「峠コース」の二つに分かれて競はれるんですが、今年は、群馬県内外から健脚自慢の一八五四人(関所コースに、一三二九人。峠コースに、五二五人)が挑戦したといひます。特に、「峠コース」は、標高差一〇〇〇メートルですからね、どれだけの人が完走したんでせうか。気になるところです。

ほんとは、明日、「中仙道を歩く」の碓氷峠越えの予定でしたが、きつと後片づけやらで、まだ落ち着かないだらうからと、川野さんと相談して二、三日おくらせたんです。火曜日は雨の予報ですので、十四日に、坂本宿から碓氷峠を越えて、軽井沢宿まで歩きます。

 

そのため、今日は、碓氷峠について勉強しました。いや、どこもさうですけれど、知れば知るほど奥深い歴史が浮き上がつて見えてきます。なまじひに知ると、こはいくらいです。

いつも言ふことですけれど、歴史に触れるといふことは、自分の人生が問はれることなんです。あんたはどう考へ、どう決断して、この先どう生きていくのだと、問はれることなんです。それは、我が心の内なる声としてささやかれるものですから、無視すればできますが、心に響いてくるものに応へていこうといふのが、ぼくのこの旅の方針です。めんどくさいんですけれどもね・・・。

 

さうです、今日は、それと、昨日求めた萩原延壽『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄1』を読みだしてしまつたのです。ちよつとのぞいてみようと思つたのですが、あまりにもわかりやすく、読むのが快感なんです。序章の百ページあまりを一気に読んでしまひました。といふのは、きつと、書いてゐる人がよほど深く理解したことを、わかりやすく書いてゐるからなんでせう。序章は、アーネスト・サトウの生涯の概略ですが、ぼくは何度となく感動してしまひました。そもそも、萩原延壽を知らなかつたことを、自身恥ぢました。

 

今日の写真:「日本マラソン発祥の地」の石碑と、その遠足の模様(ネットより借用)。そしてけふのラム。