五月十七日(土)戊子(旧四月十九日) 晴れ、 

ラフォーレ修善寺にやつてまゐりました。先月は、退院後の風邪ひきで、やむなく休ませてもらつたので、二か月ぶりです。仕事のブライダルフェアーは明日ですが、前日には入つてゐることが習ひになつてゐます。そのおかげで、温泉にも入れますし、お食事もいただけます。かんじんなのは、ですから、いい仕事をやりとげること、そのことにつきます。はい。 

 

昨日に続いて、萩原延壽『自由の精神』を読み進みました。「革新とは何か」に引き続き、「日本知識人とマルクス主義」、「陸奥宗光小論」、「馬場辰猪の墓」です。今までのぼくだつたら、表題を見ただけで手を出さなかつたでせうね。さらに同じやうな題が続くんですが、もう怖くありません。 

この、萩原延壽(はぎはらのぶとし)さんの書く文章は、とても理解しやすいだけでなく、とても感動的なんです。それは、萩原さんが、自分との関りから離れないで、自ら感動してゐることを伝へようとしてゐるからでせうね。とてもわかりやすいんです。 

「日本知識人とマルクス主義」は、改めて確認できたことがほとんどですが、マルクス主義が、「異なつた世界観の存在を認めない、排他的な全体的イデオロギーという根本性格」をもつ「権力思想」であることは、今日の世界情勢を見てゐればよくわかります。ただ、マルクス自身は、「私はマルクス主義者ではない」と言つたといはれてゐます。 

ところで、「日本知識人とマルクス主義」ですが・・。「戦前の日本において、『国体』という全体的なイデオロギーに直面して、マルクス主義は、これと全体的に対決し得る殆んど唯一のイデオロギーであった。・・このマルクス主義者が、路地を駆け抜け、貸布団に眠り、牢獄に繋がれながら、天皇制権力に対する激しい抵抗を組織している間に、自分は一体何をしていたのかという苦い反省とともに、戦後、日本の知識人がマルクス主義に対する際の心理的背景になった」。ふ~む。 

それと、陸奥宗光と馬場辰猪のことを知りました。「陸奥宗光小論」は、当時の「藩閥」勢力という実在する「権力」と「自由民権」という普遍的な「理念」との相克のものがたりです。今日の政治を見る目が養はれます。 

陸奥宗光は教科書にも出てくる明治の政治家ですが、馬場辰猪なんてはじめて知りました。そもそもなんて読むのかわからないまま読み進んだんですけれども、お墓に刻まれた英文で判明しました。TATSUI BABA でした。 

この馬場辰猪が、陸奥宗光とよきライバルであり、中江兆民とならぶ「悲劇の人」であり、自由民権運動の闘士であり、三十八歳でアメリカで亡くなつた人だつたなんて、今まで誰にも教はりませんでした。いや、人のせいにしてはいけませんが、どうして、後世の人たちがしつかり学ぶべき偉大な先人の歩みが、正しく継承されてゐないんでせうか? 

もう九時半。二度目の温泉につかつてから寝ようと思ひます。 

 

今日の写真:お昼の駅弁(鯵と小鯛の押寿し)とラフォーレ修善寺の夕食「櫻会席」(先付、お造り・お刺身盛り合わせ、蓋物・百合根饅頭、焼き物・穴子けんちん巻き、揚げ物・エビ鯛、お食事・ご飯香の物留め椀、水菓子)。それと、ホテル棟から眺めた天城連山。右手、山の端に小さく見える白い建物は「日活ホテル」。