五月十八日(日)己丑(旧四月廿日) 晴れ、 

一昨日、「仕事のために踊り子号でのんびりと向ひ、温泉に入つて、美味しいお食事をいただいて、ゆつくり寝て、碓氷峠越えの疲れを取りたいと思ひます。」なんて言ひましたが、温泉と食事と就寝は満喫しましたが、行き帰りの電車は散々な目にあつてしまひました。

まづ、行きの、東京駅発一二時の踊り子号が途中からなんども停車して、三島駅には定時の一時間近くも遅れて着きました。まあ、それは許せるとしても、三島田町駅まで進んで停車したら、車内放送で、あとから来る普通電車が先に出発して、修善寺には六分早く到着するので、お急ぎの方はお乗り換へくださいといふのです。エエ~でせう! 特急が普通電車に抜かれるなんて、前代未聞です!

ですが、ぼくは仕方なく乗り換へました。何故かといふと、修善寺駅からラフォーレ修善寺まで、シャトルバスが一時間おきにでてゐるんですが、それでなくても予定したバスを一本おくらせてゐたんです。それが、そのまま特急に乗つてゐると、さらに次のバスにも乗り遅れてしまふことがわかつたからです。

先頭車輌にゐましたから、ホームの一番うしろ、三島駅側まで歩いて地下道をくぐつて反対ホームに出、やつてきた普通電車のこんどは先頭車両まで歩きました。もう、やつとおさまつてきた心臓の鼓動が狂つてしまひさうでした!

 ただ、理由はわからないでもありません。伊豆箱根鉄道のはうはダイヤ通りに通常運転してゐるところに、JRが乗り入れてゐる踊り子号が遅れたため、むしろ、伊豆箱根鉄道のダイヤのすき間をぬつて割り込まさせてもらつたのではないか、といふ推測です。だから許してあげることにしました。

それなのに、今日の帰り、修善寺駅で踊り子号に数秒の差で乗り遅れ、それは、送つてもらつた方の車が間に合はなかつたからですが、こんどは、三島駅で、トイレにちよいと寄つたために、熱海行電車を目の前にして行かれてしまつたのであります。仕方なく、新幹線で、どうにか無事に帰つてまゐりました。

もちろん、お仕事のブライダルフェアは全力投球、重責をはたすことができました。これで、挙式を決めてくださる方が出てくれたら、これまたいただく会席料理がより美味しくいただけるといふものです。はい。

 

五月に入つてから、碓氷峠を自力で越えるために、「体力回復強化散歩」をいたしました。そして、その甲斐あつてか、十四日に碓氷峠を完歩してまゐりました。

それは七回におよび、「ひげ日記」に記録は残しましたが、塵も積もれば山となるで、この際、『歴史紀行二十五 東京散策紀行』と名付けて、一つにまとめることにしました。多少編集はしなければなりませんが、できるだけ「ひげ日記」の原形をとどめ、その苦労を偲びたいと思ふのであります。そして、いつか必ずや役に立つ時がくることを信じたいものです。

 

今日の写真:ブライダルフェアのひとコマ。けふの富士山。