五月廿一日(水)壬辰(旧四月廿三日・下弦、小満) 雨のち曇り、風あり肌寒い 

今日はパヂヤマデイ。外は雨だし、かういふ日は寝てゐるにかぎります。言ひ訳ではありませんが、やはり疲れました。

それでも、昼から妻が出かけたので、午後のラムのお散歩につきあつてあげました。しかし、散歩といつても、もう、オシッコをして帰るだけの短い距離です。そして、このときには、階段を自力で上り切ることができましたけれど、夜の散歩のあとは、途中から抱いて上げなければなりませんでした。階下に居させようかとも思ふのですが・・。

 

さつそく服部さんが感想をくださいました。『歴史紀行二十五 東京散策紀行』、その中の、玉ノ井界隈についての感想です。

すつかり忘れてましたが、服部さんは、以前、“墨田児童会館”の責任をもつてをられたのです。東武線の線路沿ひ、鐘ヶ淵駅と東向島駅(旧玉ノ井駅)との中間にあります児童会館、ぼくも訪ねたことがあつたんです。二〇〇五年二月のことです。

明治学院大学の社会福祉を学んだ同窓生の多くが、牧師になつたり、社会福祉の職についてゐますが、とくに服部さんの働きはきはだつてをられます。本所賀川記念館の主事をされたり(その時に、ぼくはそこで結婚式をさせていただいたのでした!)、その後は、社会福祉法人雲柱社の理事長をされて、その頃、“墨田児童会館”に出向されてでもゐたんでせうか、それを知つて遊びに行つたのです。たいへん忙しい職場なのに(今日の写真を見てください)、ぼくは山暮しの話をしたくて、たいへんご迷惑をかけたことをお詫びしなくてはなりません。

そこで、いただいた感想をご披露いたします。

 

中村さん、楽しい散歩記ありがとうございます。

知っているところが多いので、楽しく読ませていただきました。玉の井には仕事で四年いました。怪しい街で、道がどこへぬけるのかわからないようなところでした。人々は地域に密着していて、よそ者を容易に溶け込ませないような雰囲気もありました。一歩中に入り込むと人間の喜怒哀楽が充満している街でもありました。私たちは子どもたちが相手でしたが、その表情の裏側に、既に人生の悲哀を感じさせられる子どもたちもいました。その世界のどっぷりと感情移入をするには、キリスト教の信仰が邪魔になったこと事実ですが、、、。

ではまた。いまだに娑婆に未練を残してあがいている老人より (服部)

 

服部さんの人生は、いつまでも現役なんでせうね。時々、そろそろ悠々自適にお暮しになつたらどうですかと言ふんですが、それでは服部さんではなくなつてしまふのかも知れません。いつまでも先輩でゐていただきたいと思ひます。

 

今日の写真:二〇〇五年二月二十六日の“墨田児童会館”にて。二枚目の後ろの壁に架けられた絵画、誰だかわかる方ゐますでせうか? それと、昨日、中仙道と北国街道の分岐点の分去れ手前の骨董屋と、そこで買つた小皿。案の定、帰宅して妻に見せたら、食べ物以外のおみやげは要りませんとお叱りを被つてしまひました。