六月十二日(木)甲寅(旧五月十五日) 雨、降つたりやんだり、肌寒い

子母澤寛著『勝海舟(一)』(新潮文庫)を読み進みました。

勝麟太郎が島田虎之助に師事し、烈しい剣術稽古の末に免許皆伝を得たこと、将来妻となる女性と出会つたこと、そして永井青崖について蘭学を学びはじめ、そこで最良の師となる都甲市郎左衛門との出会ひをへて、さらに、「武州徳丸ヶ原で、髙島秋帆の西洋火術演習の行われた」のを見学したところまで進みました。

既成の権益にしがみついた幕府の体制と、そこで甘い汁を吸つてゐた人々によつて、蘭学が迫害され、対外政策が損はれていくことが窺はれます。「島田(虎之助)先生のお言葉通り、隣に住んでいる得態の知れねえ奴を知るためだ、何年後、何十年後、いざという時に、御役に立つための勉強だ」といふ麟太郎の真意も知らずに、剣術の仲間すら遠ざかつて行く中で、蘭学修行は孤独な戦ひだつたんですね。

 

今日のラム・・散歩は夜に一度きり、そして食べたのはわづかの缶詰だけ。スタイルがよく、美人であたまもよくて気が強い、“我が家の観月ありさ!”だと、ぼくの妻が評してゐたラムも、たうとう最期を迎えへやうとしてゐます。

 

今日の写真:けふのラムの様子。ラムが残した食事を食べに来た野良猫の寅。壁を背にして、ずり落ちる腰を支へながら、どうにかしやがまうとしてゐるラム等。