六月十六日(月)戊午(旧五月十九日) 晴れ

午前中、信濃國と馬の関係を調べるために、索引をもとに、「六國史」のすべてにわたつて、「信濃(國)」の項目を確認してみました。最初に見られたのが、『続日本紀』の巻十三、天平十年(七三八年)正月朔、聖武天皇の時代の條です。「信濃國神馬黑身白髦尾」といふ記事です。「神馬」とは、お正月に献上された特別な馬といふことでせうか。      

ちなみに、それより二十五年前の和銅六年七月に、「美濃信濃二國之堺(の)徑道險隘(で)往還難儀(な路に)」、吉蘇路(木曾路)が通されたことによつて、信濃からの物資や馬の運搬が容易になつたのでせう。

次に現れるのは、ぐつと下つた平安時代、『日本三大實』巻第九、清和天皇の貞観六年(八六四年)六月二十三日の條です。「定信濃國牧貢御馬」とあり、信濃國の「牧」から献上される馬が、それまではささげる期日が定まつてゐなかつたのを、「改定」したといふ記事です。

しかし、それが徹底してゐなかつたんでせうか、明くる年の貞観七年(八六五年)十二月に、再びみことのりとして、「信濃國使牧御馬。元八月廿九日貢之。今定十五日」として、確かに、以後は毎年八月十五日に献上されてゐます。

ここで注目したいのが、「牧」・「使牧」です。「牧」とは、朝廷に納める馬を飼育する官営の牧場のことですが、このやうな「牧」が、現在書き継いでゐる、沓掛宿あたりにあつたんですね! つまり、朝廷の御用牧場が、信濃にはいくつもあつたやうなんです・・。

 

今日の写真:けふのラム。

 

補足一:朝食後、取れたブリッジについて、歯青島歯科に電話したら、すぐ来るやうにとのこと。早速診てくださる。出血が多いので、また明日通院となる。

補足二:尾池さんのところで、駐車場と我が家に隣接するコンクリート塀を取り壊す工事がなされた。

補足二:夕方勝美が来る。この四日に引つ越しし、明日は母を招いて、連れていつてくれることになつてゐる。