六月廿三日(月)乙丑(舊五月廿六日) 晴れ

もう出るものもないのでせうか。夕べは、一時と一時半にオシッコとウンチでそとに連れ出しただけで、朝までゆつくりと寢ることが出來ました。

夕べ、ラムを抱いたまま體重計で計つたら、一二・一キロありました。ひと頃より五キロほど減つたことになります。それでも抱へて歩くにはしんどい重さですね。

それを、今日は、七回も階段を下りては上りして抱へ運びました。したくなるとひーひー鳴きだすんです。どうしても外に出たいんですね。苦しいんでせうか、ウンチのときにはとくに出すまでひーひーいつてゐます。血便のやうな感じもします。これ以上苦しむとしたら考へてあげなければなりません。

 

今朝、子母澤寛著『勝海舟 第二巻・咸臨丸渡米』(新潮文庫)を讀み終へ、つづいて〈第三巻・長州征伐〉に入りました。勝麟太郎はじめ、開明派の人々にとつて、その當時の幕府の頑迷さは、どうしやうもないところまできてゐたやうです。

「出来るなら老中の誰かが、舵を握って、一海里でも船を動かして御覧よ、おだてる事

は、みんなでさんざんおだてるが、ほんに馬鹿にしていやがるよ。時世が時世だ、諦めてはいるが、いつまで旧弊の衣を着てやりやがるかと思うとやっぱし少し腹は立つ」

「攘夷なんかは、何時でも出来ます。今は国を挙げ、諸侯悉く一致して真に海軍を盛大にすれば、黙っていても攘夷の実は擧がります。天下料理の材を以て任ずる閣老方が、誰一人、これに気づかぬは、嘆かわしい事です」

「おい、幕府が潰れても、日本国が無くなる訳じゃあねえだろう、日本国のある限り、海軍は必要だ、海防は必要だ。勝あね、なによりも先に先ず日本国の人間だよ」

「攘夷もいい、開国もいい。が、どっちにしても幕府は、とんと、無力でんすよ」 こういう麟太郎の眼にうつるものは、ただ人々の驚きと当惑の、狼狽の顔色であった。こんな事をずばずばといっていいものか:」

なぜ、かういふ事が言へるのかといへば、

「あたしゃあ、幕府の御役衆に信用を無くすよりは、こうした人たち(水主や鳶)の一本気な気持ちから離される、ひたすらなものから棄てられるという事が堪らねえ男」

だからなんですね。江戸っ子ということなんでやんしよ。

福澤諭吉とか、坂本龍馬とか、人斬り以蔵も登場してゐます。また、麟太郎の妹のお順さんもでてきますが、あひかはらず嫌な女です。

 

久しぶりに弓道場に行きました。忘れたゐたわけではありませんが、かうも調子がよくないと、心晴れやかに弓を引けさうもありません。齋藤さんと坂本さんと一緒に、お土産に持參した、「信州小布施名菓 方寸」をいただきました。

 

今日の寫眞:けふのラムと、久しぶりの弓道場にて。