六月廿七日(金)己巳(舊六月朔日・朔) 薄曇り、午後一時雨

昨夜は、妻と散歩したあと、はやく寢床にはいりました。ただ、ラムのそばにゐただけなのに、たしかにやり遂げたといふ氣持ちで滿足感はあるんですけれど、何だかとても疲れてしまつたからです。・・・

正午に、ペット葬儀社からお迎へがあり、ラムを伴つてそのあとについて行きました。場所は、足立區東保木間にある、“VIPペットサービス”といふ火葬場です。妻は派手でなくてよかつたといふのですが、ぼくは、何だか工場の片隅の焼却爐みたいで、ちよいと寂しい氣がしました。ともかく、一時間でラムは骨になつて爐から出てきました。

妻はやめなさいと言つたのですが、ぼくはラムの骨になつた姿をどうしても撮りたくて、寫眞におさめました。鍛えただけあつて、足の骨が太くしつかりしてゐました。また、頭もいい形でした。その頭蓋骨を骨壺に入れるときに、指先でそつとつかんで、しかし、どうしても崩さなくては入らなかつたのがとても殘念でした。

もう、つたものといへば、この骨と、たくさんの思ひ出だけになつてしまひました。 

しかし、百パーセント力を注いできた妻は、わたしには悔いはないは、と言つてゐます。たしかに、自分の兩親とぼくの父の最期を看取つた妻ですから、決して見榮で言つてゐるわけではありません。その言葉通りに盡してきたことは、ぼくが言ふのも何ですが、本當のことです。まあ、それだけぼくが不甲斐なかつたわけなんですが・・。

正直に言つて、ほつとしてゐます。重荷がおりたといふか、ある達成感に滿たされてゐます。ただ、悲しみは、ふとやつてくるんですよね。

ラムは、ぼくたちにとつて、はじめての愛犬で、また最後の愛犬です。”オンリー・ラム!” です。その思ひ出を、今までも時々書いてきましたが、これからも思ひ出すたびに書き綴つていきたいと思ひます。 

今晩もまた、妻と二人で、ラムと散歩した道を歩いてみました。ここでかうだつた、あそこでああだつたと言ひながら、「そうだ、もうラムはゐないんだ!」と、思はず見つめあつてしまひました。

 

昨日、ラムのそばで、新保祐司・富岡幸一郎『対談「日本の歴史文学」 『夜明け前』と『天皇の世紀』』(朝文社)を讀み終へましたが、大變勉強になりました。

 

今日の寫眞:昨夜のラムとのお別れ。家を出るときと、骨壺に入つたラム。お骨の寫眞は希望者のみにお見せします。