七月七日(月)己卯(舊六月十一日・小暑、七夕) 曇天、時々小雨

今日は、時間をとつて、『ラムの晩年』と題したファイルを新たに作りました。たくさん撮つた中からの抜粋で、東京へ來てから亡くなるまでの寫眞集です。二〇一〇年五月からですから、まる四年になります。抜粋しても二七〇枚になりました。

ラムは、はじめのうちはつないでゐましたが、しばらくしてなれてからは自由にしてあげました。一度通行の人に注意されましたが、それ以外のかたは、むしろ好意的でした。飼つたことのない人ほど警戒するんですね。でも、言ひ譯ではありませんが、ぼくの住む町内は、どうしてなんだらうと思ふほど、道路が阿弥陀籤(あみだくじ)態で、自動車を使ふ人にはとても不便なところです。

自動車がスピードが出せるやうなところではないので、ですから、通行人には都合がよくて、イヌを散歩させてゐる方もみなのんびり歩くことができるのです。ラムはとくに、あちらでクンクン、こちらでクンクン。行きたい方へ自由に歩かせた、といふか、自分で行きたい方へ行くときなど、ちらりと見上げるんですね。いいよ、とうなづくと、さつと、身を翻して輕い足取りで進んでいくんです。ぼくたちは、そのあとをゆつくりついて歩くだけでした。

一口で言ふと、自分を持つてゐるやうなんです。好き嫌いもはつきりしてゐました。ぼくたちは、ひつそりと、意志強子とか、意志頑子とか言つてゐました。

 

明日は、修善寺です。仕事は九日ですが、ちよいと臺風が氣にかかります。また、踊り子號がとまらなければいいんですが。

 

『中仙道紀行十五 小田井宿~八幡宿』の執筆は、そのため、あまり進みませんでした。

 

今日の寫眞:二〇一〇年五月二十五日、伊豆の家を引き払ひ、東京葛飾に引き移る。その朝、出がけの記念。堀切の家に到着直後。そして、その三日後、はじめてウンチをしたところ!