七月十六日(水)戊子(舊六月廿日・お盆 送り火 晴れ 

『歴史紀行二十八 中仙道を歩く(十五) 小田井宿~八幡宿』が書き終りました。次のツアーまで殘すはあと一週間。その間に、「中仙道を歩く(十六) 八幡宿~笠取峠」が書けるかどうか、ぼくの氣持ちはすでにそのはうに向いてゐます。四十二人に配信。

暑いので窓を開けて風を入れてゐましたが、それでも暑くて、たうとうクーラーを入れて執筆にはげみました。はじめて訪ねたところを、このやうな「紀行」として書いてみると、二度も三度も訪ねた氣になるのは不思議です!

 

今晩の散歩の話題は、ラムの氣が強かつたことです。たまには、こちらから機嫌を窺ふわけではないのですが、そばに行つてからだにらうとすると、何すんのよ、といつた目つきで見返されたことが何度もありました。

とくに、よその人が觸らうとするもんなら、見返すどころか、さつさと歩いていつてしまふのです。もう、はらはらでした。それと、たまには吠えるんです。それがだいたい決まつた人なので、どうしてなのか、しばらくしてわかりました。それは、ぼくたち夫婦が好意を持つてゐない人に對してだつたのです。いはば、代辨してゐたわけです。いや、子育ては怖いものだと思ひました。

 

今日、美知子は、馬橋の正夫さんと、おばさんを新葛飾病院に連れて行き、介護認定のための診斷書を書いてもらふように依賴。今まで通つてゐた近所の山醫院が、いざとなつたら書いてくれないことがわかつたからだ。とんでもない醫者である。父の時も、訪問醫療を勸められないと言ひながら、自分は往診しようともしなかつたのだ。後手後手ではあるけれども、一歩一歩進んでいかないと、訪問醫療を受けることさへできない。

 

今日の寫眞:亡き父と馬橋のおばさん。送り火の様子。そこにご近所のモモちやんが來てくれました。