七月廿七日(日)己亥(舊七月朔日) 晴れ、午後一時雷雨、蒸し暑い

「中仙道を歩く(十七)」を書き續けました。笠取峠から坂を下り、長久保宿に入つて晝食をいただいたところまででした。心に引つかかることについては、氣持ちもついていくので、筆が運びますが、ただ説明してすませればいいところは、なかなか滿足がいくやうには書けないもんです。

 

夜のラム追悼散歩は、ぼくが通つてゐた葛飾學園まで歩きました。家からほぼ真北に歩いて行きました。九品寺を過ぎ、東綾瀬小學校を過ぎ、さらに住宅街を眞直ぐに歩くと、見覺えのある角に出るので、そこを曲がると香取神社がありました。このあたりは、ぼくが子どもの頃は、あたり一面の畑や田圃だらけ。神社が、広々とした田畑の中に浮かぶ島のやうだつたのを思ひ出します。

今は昔。住宅や團地に取り圍まれてひつそりとしてゐます。響いてきたのは團地の盆踊の囃しでした。葛飾學園はさらにその先、ゆつたりとした敷地の中にありました。聖公會の敎會の學園で、ぼくはよく怒られて押入れに閉じ込められたのを思ひ出します。

朝は、おじさんがリヤカーで迎えにきてくれましたが、歸りは、歩いて歸ります。廣い野原や畦道を、いつも泥だらけで歸つたものでした。

今晩の散歩は、ちやうど一時間、五二〇〇歩でした。

 

今日の寫眞:夜の香取神社。團地の盆踊。葛飾茨十字敎會と葛飾學園。それに、ぼくが在園中の記念寫眞。