八月二日(土)乙巳(舊七月七日) 晴れ、蒸し暑い

 

昨日に續いて、『東京散策紀行』のワード版を册子版に編集しました。が、あまり進みませんでした。

また、「武田信玄」を讀み進みました。これもまた、『史料綜覽』と照らし合はせながらなので、あまり進みません。まあ、書評のはうを斷はることができたし、期限があるわけではないのでのんびりやりたいと思ひます。 

 

さうです。今晩は、“夜のピクニック”といつてもいいでせう。七時四五分に出て、九時一五分に歸ることができました。歩數も、六八四〇歩でした。

最初は、一昨日と同じ道を水戸橋まで歩きました。ただ、小菅神社を訪ねたので、そのまま綾瀨川にかかる新水戸橋を渡り、再び荒川の堤防をめざしました。

堤防の長いコンクリートの階段を上りつめると、そこは暗い舞台の上に立つたやうでした。正面には荒川の流れと向かひに林立するビルのネオンが明るく輝いてゐました。空には三日月も浮かんでゐます。そして、歩いてゐるあひだ中響いてゐた音の正體がわかりました。カミナリではなく、遠くの花火が上がる音でした。JR線、東武線、千代田線、それにつくばエクスプレスが絶えず行き交ふ、その光の線すれすれに上がつては丸く輝いてゐたのです。

しばらく二人して見とれてしまひました。豫定では、再び堤防を下りて、小菅刑務所(東京拘置所)の周りをまはつて歸ることにしてゐたのですが、風も気持ちいいし、眺めもすばらしいので、コンクリートの塀を見ながら歩くのは後日にして、堤防を下流に向かつて、先日と同じ道を、暗闇の中をたどりました。とても長い距離ですが、少しも苦になりませんでした。 

 

今日の寫眞:新水戸橋際にある小菅神社。綾瀬川にかかる新水戸橋から見た、少し上流の水戸橋。荒川の小菅堤防からながめた花火。西新井橋地か港北橋綠地で打ち上げてゐたものと思はれます(二枚)。京成電鐵荒川橋梁。ちよつと月も見える。それと、現堀切橋から見た舊堀切橋の綾瀨川にかかる部分(堀切小橋)。

 




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