八月十五日(月)戊午(舊七月廿日・望) 晴れ

 

今日は、敗戰記念日です。この日をどのやうに受けとめるかが、これからの日本の國の歩む方向を決めることになるのでせう。忘れてしまつてはなりません。

手もとにある、大佛次郎の『敗戦日記』の記述をひもといて、ちよつと考へてみました。 

 

八月十三日 晴れ 早天六時から艦上機の大挙侵入があり関東から新潟長野と広範囲に夕方まで連続的に行動。・・・。数回高射砲が鳴りとどろき爆音が聞こえた。敵もここを最後と暴れまはつてゐる。・・・。

八月十四日 蒸暑い日が続く。敵襲も依然としてやまず。・・・。九時のニュウス明日正午に重大発表があると報道す。・・・。何となく仕事に手がつかず飲まずにゐられぬやうな状態。・・・。

八月十五日 晴れ。朝、正午に陛下自ら放送せられると予告。・・・。予告せられたる十二時のニュウス、君ヶ代の吹奏あり主上親(みずか)らの大詔放送、次いでポツダムの提議、カイロ会談の諸条件を公表す。台湾も満洲も朝鮮も奪はれ、暫くなりとも敵軍の本土の支配を許すなり。覚悟しをりしことなるもそこまでの感切なるものあり。・・・未曾有の革命的事件たるのみならず、この屈辱に多血の日本人殊に軍人中の一途の少壮が耐え得るや否やを思ふ。大部分の者が専門の軍人も含めて戦争の大局を知らず自分に与へられし任務のみに目がくらみいるやうに指導せられ来たりしことにて、まだ勝てると信じをるならば一層事は困難なるらし。・・・。

八月十六日 晴れ。依然敵数機入り来たり高射砲鳴る。小川真吉が小林秀雄と前後し訪ね来たる。昨日の渋谷駅などプラットホームの人が新聞をひらいてしんとせしものなりと。小林も涙が出て困ったと話す。・・・ 

 

以上、八月十五日前後の樣子でした。・・・は省略を、太字はぼくの強調部分です。また、十四日にポツダム宣言が受諾されたにもかかはらず、まだ戰闘が續いてゐたことがわかります。はじめるのは簡單でも、終はらせるのは實にむづかしいことなんです。

安倍首相は、まづ、國民に大局を知られないやうに畫策をしました。そして、いつでも戰爭をはじめられるやうに、自らを、平和憲法より上に位置づけてしまひました。はたして、自民党に一票を投じた人も、そのやうな首相を望んだのでせうか?

いずれにせよ、黙つてゐてはいけないのであります。いや、目を開いて大局を見つめてゐなくてはいけません。戰爭のなかで眞面目に戰ふよりも、平和のなかでその眞面目を生かすはうが、とてもとてもとても賢い生き方だと思ふのであります。

 

そんなことを考へた一日でしたが、つい禁斷症が出て、町田の柿島屋へ行つてしまひました。その途中で、“馬頭觀音”に出會つたんですが、それでも自制がききませんでした。すみません。 

 

今日の寫眞:小田急電鉄、ロマンスカー先頭車にて。町田、高原書店。四階の建物すべてが古本賣り場です。ただ、みな値段が高いです! 町田の街角で出會つた馬頭觀音。そして、柿島屋とぼくの定番の注文の品々です。馬刺と冷奴とご飯の小と生ビールです。

 



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