八月廿五日(月)戊辰(舊八月朔日・朔) 曇り、一時雨

 

寫眞を選び、加工も進んできたので、はや、「和田峠越え」の本文の執筆にかかりはじめました。でも、今回は、ちよいとあれこれ工夫が必要のやうです。和田宿を出發する前に、書いておくことがありさうなんですね。 

 

ところで、森さんから早速ご返事をいただきました。失禮して引用させていただきます。

「おはようございます。甲州街道と中仙道のことの疑問、もっともと思います。

わたしの率直な意見としては、下諏訪から江戸までの距離は大差がないということ(五里くらい)を考えると、やはり中仙道の方が歩き易いのではないかと思います。

小仏峠、笹子峠など結構きつい峠越えですし、道幅の狭い谷あいの道が多く、冬の積雪時には歩くのが困難でしょうし、宿場など街道としての整備も難しかったのかなと思います。

道というのが、獣道、樵道、地域道というように、人が歩いて道になっていくとすれば、東山道といわれる頃から、中仙道は甲州街道に比べて人々が歩きやすかったのかなと思います。

また、甲州街道は、武田後の徳川家の金山などのこともあり、あまり通したくなかったのかなとも愚考しますが・・・。 取り急ぎ、思いつくままメモしました」。 

 

いやあ、感謝です。もちろん、すぐにお禮をいたしました。さうでせうね、碓氷峠や和田峠があつたにしても、中仙道のはうが歩きやすかつたといふことのやですね。それと、幕府として通したくなかつたといふ理由も大きかつたのではないかと思ひました。もう少し調べて、こんどの「紀行」で述べてみたいと思ひました。

そのお禮ですが、實は、先日、森さんから、宿泊したホテルの部屋に懸かつてゐたといふ「掛軸」の漢詩の解讀を依賴されてゐたんです。お禮に付してお送りしました。

依賴された漢詩は、夢窓國師の「偈(げ)」のやうです。自分なりに解いてみました。 

 

青山幾度変黄山  青山幾たびヵ黄山ニ変ジ

浮世紛紜總不干  浮世ノ紛紜(ふんうん)總ジテ無くならズ

眼裏有塵三界搾  眼ノ裏ニ塵有リテ三界ヲせばメ

心頭無事一床寬  心頭事無く一床ニ寬グ

 

綠の山が、紅葉の山に幾度となく變はるやうに、年月を經ても、

世の中のもめごとや爭ひは少しも無くなる事はない。

目の裏にはちり(雑念)が有つて、自ら世界をせばめてはゐるが、

心頭滅却すれば、何事もないやうに寢床にくつろいでゐられるものだ。 

 

今日の寫眞:森さんから解讀を求められた夢窓國師の「偈」。

 

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