八月廿六日(火)己巳(舊八月二日) 曇天、一時雨

 

「中仙道を歩く(十八)」を書いてゐて、ふと、伊能忠敬も、全國の測量のために中仙道を通つたのではないかと思ひました。實は、今年の一月十日に神田の古本市で、『伊能忠敬測量日記一 千葉史料 近世篇』を手に入れてゐたので氣づいたのです。ところが、この本は、第一次測量の日記から、第五次測量までの日記であつて、第十次まで行なはれたうちの前半だけだつたんです。しかも調べたら、千葉縣史料本では次卷が出てゐないやうなんです。

そこで、肝心の中仙道の通過ですが、それは第七次測量のときであることがわかりました。記載されてゐる本もわかりました。『伊能忠敬測量日記 第三巻 九州第一次』(大空社)です。さつそく、ネットで、「日本の古本屋」と「アマゾン」で探しましたがありませんでした。さうなつたら圖書館しかありません。

まづ、金町の、葛飾區立中央圖書館を訪ねました。妻が圖書館まで車で送つてくれたのです。が、ありませんでした。そしたら、係の女性のおばさんが調べてくれて、東京都立中央圖書館にはあることがわかりました。善は急げです。一度訪ねたことがあります。金町驛から千代田線に飛び乗り、北千住驛で日比谷線に乘りかへて廣尾驛下車。歩いて數分の“有栖川宮記念公園”の中にあるんです。

でも、ぼくはその前に、にぎやかな道路沿ひにあつた壽司屋に入つて腹ごしらえをしました。すでに、十二時にならうとしてゐます。腹がへつたままでは用がたせないかも知れなかつたからです。いや、量がおほかつたです。食べ過ぎるとまた調子がくるふかもしれないんですが、なるべく殘さないで食べることが出來ました。ところが、圖書館に入つて思ひだしました。さういへば、この五階には食堂があつたんです。前來たときにはいただいたはづなんです。

いや、本のことですが、それは、地下二階の書庫に所藏されてゐて、少し時間がかかるといふので、その五階へ行つて、飮み物だけいただいて待ちました。下りてみると、本が來てました。ありました。忠敬さん一行、文化六年(一八〇九年)八月二十七日に江戸を發つて、九月二十二日には和田宿に宿泊してゐました。竝の旅ではありませんから、やはり時間も日時もだいぶかかつてゐますね。そこで、その第七次測量日記の最初から、九州までは付き合ふ必要ありませんから、西宮と神戸のあたりまでの二十數頁をコピーしていただきました。

面白さうです。「第七次測量日記」は次のやうにはじまつてゐます。 

 

「文化六己巳年八月蒙国々測量命。八月二十七日朝出立。此日暁七ツ後より小雨六ツ後止曇天。任先例我等上田文助、箱田良助、黒田藤吉、棹取長蔵、草履取清七を供とし八幡宮へ参詣。直に六ツ半頃発足。…」 

 

第一次と同樣に、いや、毎回さうだつたと思ひますが、一同深川八幡宮にお參りしてから出發してるんです。忘れてゐましたが、八幡宮で忠敬さんの像を見たことがありました。 

 

今日の寫眞:①富岡八幡宮の伊能忠敬像。二〇〇三年十二月廿八日、デジカメ以前の寫眞を複寫したためにぼけてゐます。②金町驛ホームから見た葛飾區立中央圖書館(矢印)。ヴィナシス金町(マンション)の三階部分が圖書館になつてゐる! ③東京都立中央圖書館。④同、五階食堂。⑤同食堂メニュー。けつこう美味しさうです。

 



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