九月二日(火)丙子(舊八月九日・上弦) 曇り

 

ふと思ひついて、例の、「史策會」の「築地・明石町小さな街歩き」の三回を、また、「歴史紀行」に仕立ててしまはうと思ひたちました。「東京散策紀行」の二番煎じですが、いや、「ひげ日記」に書いたものをそのまま轉載するだけですから。だぶるだぶる煎じといふことになるのでせうか、大變だつたのは、何んといつても、寫眞のアレンジがままならないことです。

でも、思つてゐたより短時間で仕上がりました。これを、册子版に編集するときに寫眞をうまくアレンジし、また説明も書きたいと思ひます。思ひのほか、「中仙道を歩く(十八)」が早く仕上がつたので、少し氣になつてゐた作業ができました。 

 

いやあ、ぼくの「歴史紀行」にも讀者がゐてくれてうれしいです。しかも、ドイツにゐる友人です。あのヨーロッパの、スイスの隣のドイツですよ! 飛行機で行くにしても何時間もかかるドイツです。そのドイツの友人、ミワヨシヒロ君からのメッセージを紹介したいと思ひます。お許しくださると信じてをります。 

 

淳ちゃん、

  『歴史紀行(三十二)』を興味深く読みました。原典からの引用が特にいいです。読んで分る部分は、高が知れていますが、この文章が、高島藩士の書き残したオリジナルの日本語なんだと感じるだけでも、歴史に触れる事ができたような気持ちになります。

   言葉(文章)は、慣れる事が大切なのだと思います。自分の言葉でないドイツ語で無理矢理生活してきましたから、意味が分るのは有り難いと思いますが、ただ分ってもしょうがないんです。文章の姿って、本当に大切です。日本語が駄目な私でも、日本語は古典が良いと思います。

   ヨーロッパ語も、ヘブライ語やギリシャ語やラテン語の素養があるかないかで、随分と違いますよね。言語の伝統を疎かにするのは、本当に大罪です。古典と歴史を馬鹿にすると、思想も人間関係も軽薄になるからです。自分が出来なくても、出来る人に対しては惜しみない敬意を表したいと思います。 

 

ありがたうございます・・。以上、ぼくに都合のいいところだけ紹介させてもらひましたが、彼が言つてゐることがよくわかります。言葉はただ意味が通じればいいものではないんです。そこが大事なんですよね。ますます、歴史的假名遣ひ(正假名)と正字を大切に、自分の言葉にしていきたいと思ひました。 

 

今日の寫眞:泉お姉さまの、「築地・明石町小さな街歩き」のレシピ。

 

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