九月九日(火)癸未(舊八月十六日・望、重陽) 晴れ

 

今日は、父が亡くなつてからまる二年になります。すでに、父なき後の生活のリズムができて、思ひ出すことも少なくなりました。昨日は、家族そろつて父を偲ぶことができてよかつたと思ひます。そして。みんなに、たまには、『アルバム 中村勝太郎卒傳』を見るやうにと、偉さうに言つてしまひました。 

 

もう氣分は、次の「中仙道」の旅に傾いてゐます。九月の二十三日からの二泊三日は決まりですが、それにつづいて、十月と十一月の日程も決めました。

日程だけではありません。次回の、『中仙道を歩く(十九)』のために、すでに、〈はじめに〉の部分を書きはじめました。先日は、歴史を學ぶことについて、目覺めたとたん頭に浮かんだことを書き出しましたが、今日は、下諏訪宿で合流した甲州街道が、なぜ中仙道なみに扱はれなかつたのか、その疑問を書き綴つてみました。

でも、あまり前書きが長いと嫌はれるので、できるだけ自己規制いたしました。あとは、實際に歩いてから記述したいと思ひます。 

 

今日の寫眞:①父のカメラに遺された一枚。濱口さんと下澤さんのおばさんたちとの旅行先らしい。②『木曾名所圖繪』に見る、下諏訪宿のにぎはい。街道沿ひに温泉の湯船があり、よく見ると、はだかで道に立つてゐる人がゐる!

 


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