九月十九日(金)癸巳(舊八月廿六日) 晴れ、風さわやか

 

今朝も庭木の剪定をいたしました。庭木といつても、塀の蔦ですけれども、これは生長がはやいです。母のお氣に召す樣に丁寧におこなひました。涼しい朝でよかつたです。 

 

昨日、本居宣長と平田篤胤の死後に對する見解の相違について述べましたが、それを裏付ける本を讀んだので、つけ加へたいと思ひます。それは、アイビーホールに勤めてゐた時に、靑山學院大學の圖書館で放出したのを無料でいただいた本なんですが、勉強になりました。「日本の近世」といふシリーズの第十三巻、『儒学・国学・洋学』(中央公論社)の中の、「古典研究と国学思想」(桑原恵)といふ論文です。

ぼくの宣長さんとの出會ひは、『うひ山ふみ』につきるんですが、次第にその人物なり、影響力なりがわかつてきました(*補足一)。またそれだけに、反對する人も現れたんですね。 

 

「篤胤は、宣長が『人は貴賤尊卑の別なくすべては死後は黄泉の国という穢れた国へ行くのだ』(*補足二) とした説を批判し、『人は死後、黄泉の国へいく霊と、になる霊とに分かれる。よい志をもっていた人の霊は神となって、神々の国である幽冥界へ行くことができる』 と説いた」。この説が、どれだけキリスト教の影響のもとにあつたかといふことは措いておくことにして、この死後幽冥界へ行つて神になるといふ敎へは、人々を先祖の靈と結びつけ、さらに、おほもとの先祖である「皇祖神」の子孫であるといふ自覺をもたらしたのだと、著者は述べてゐます。

つまり、平田篤胤は、「乱れている現実社会を前提に」、民衆に生き方を提示しようとしたのですが、それはまた 「近代天皇制イデオロギー」形成に寄與することになつてしまつたのです。「民衆は、神々の子孫となり、現人神としての天皇と同じとなるから、必然的に死後神となるのである。民衆からなった神々は、クニツ神として皇祖神を助けることが可能となる。日本人として生まれた以上は、このような日本に貢献する神となれるように努力する必要があると、篤胤は説く」。ふ~む。 

 

國學は平田派だけではありませんが、敎派の違ひを問はず、「国学に傾倒した知識人層が天皇制の支持基盤を形成していったことも事実である」といふのです。たしかに、尊王攘夷から尊王倒幕へともたらした力はなみたいていのものではなかつたと思ひます。そして、諸外國の脅威から日本の國を守るためには、天皇制を強固にすることが必要であつた、といふことは、歴史的事實として認めざるを得ませんが、それが、時の權力によつて都合よく利用できる「機關」にすぎないこともまた明瞭です。そして、そこが一番の問題だとぼくは思つてゐます。「日本に貢献する」ようにといはれても、それはただその時の權力に從順であれ、といふことにすぎないからです。

ところで、本居宣長を批判し、論爭した人がもう一人ゐます。それが上田秋成です。もちろん、宣長さんを批判する秋成さんも國學者です。そういふ意味で言へば、「日本の古典(『古事記』・『日本書紀』)の中に日本の理想を求め」、漢意(からごころ)と「儒教的論理からの解放が、日本文化の『自立』につながると捉えていた」點については共通の理解だつたと思ひます。

しかし、二人の論爭は、ぼくは今日調べてゐてはじめて知つたので、大きいことは言へませんが、「近代天皇制イデオロギー」を考へるうへで、たいへん大きな問題を祕めてゐると感じました。(つづく) 

 

*補足一:『夜明け前』にも、本居宣長について語つてゐるところがあるので引用します。

「異國の借り物をかなぐり捨て、一切の『漢ごころ』をかなぐり捨てて、言擧(ことあ)げといふことも更になかつた神ながらのいにしへの代に歸れと敎へたのが大人(本居宣長)だ。大人から見ると、何の道かの道といふことは異國の沙汰で、所謂仁義禮讓孝悌忠信などといふやかましい名をくさぐさ作り設けて、きびしく人間を縛りつけてしまつた人達のことを、もろこしの方では聖人と呼んでゐる。それを笑ふために出て來た人があの大人だ。大人が古代の探求から見つけて來たものは、『直毘の靈』の精神で、その言ふところを約(つづ)めて見ると、『自然(おのづから)に歸れ』と敎へたことになる。より明るい世界への啓示も、古代復歸の夢想も、中世の否定も、人間の解放も、又は大人のあの戀愛觀も、物のあはれの説も、すべてそこから出發してゐる」。

*補足二:ぼくは、できるだけ、孫引きではなく、原文を自分の目で讀んで確認したいと思つてゐます。この本居宣長の言葉も、できればさうしたいと思つてゐましたが、ありました。初版が、明治三十五年發行、その大正十五年增訂再版發行の『增補 本居宣長全集 第六』といふ、四年前に二百圓で買つた古本の中です。その中の「答問」に、 

 

問、人死ぬれば黄泉ノ國へゆくと云は、・・・、此事如何

答、人死ぬれば、善人も惡人も黄泉國へゆく外なし 

 

わかりました。やはり事實だつたんですね。かういふことを確認することは、ぼくはとても大事だと思ふのです。ただ、平田篤胤さんのはうは見つかりませんでした。 

 

今晩もまた、“夜の早足”をやつてきました。といつても、往復で二十分たらずです。これで、健康が保たれ、「中仙道を歩く」のための訓練になればしめたものです。はい。 

 

今日の寫眞:本居宣長自画像。平田篤胤像。『霊の真柱』(岩波文庫)と、『日本の近世第十三巻 儒学・国学・洋学』(中央公論社)。

 


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