九月(長月)廿一日(日)乙未(舊八月廿八日) 曇り

 

宣長さんが、「野蛮國である中國と朝鮮は、尊き皇國であるわが國に服從すべきである」(『馭戎慨言』)なんて言つてゐたなんて驚き以上に、ショックでしたね。だいぶ考へさせられましたよ。しかも、近世の國学が、それを批判した秋成さんをではなく、宣長さんの説を「無前提」に正しいと思ひ、かつ展開していくんです。その先に、あの忌まわしい大陸侵略があつたかと思ふと、思想の力といふものはばかにできません。

人びとにしても、天皇といふ存在に對して慕はしい氣持ちはあつたでせうから、それが國学、いや、宣長さん流皇國史観によつて捻じ曲げられて利用され、結局自滅の道を歩まされたんですから、これほど恐ろしいことはありません。 

 

それで、ぼくは上田秋成さんに注目せざるを得ませんでした。昨夜は、『新潮古典文学アルバム 上田秋成』を一氣に讀んでしまひました。アルバムですから、文章は多くはなかつたんですが、勉強になりました。作品としては、『雨月物語』や『春雨物語』などによつて知られてゐますが、それ以上に、秋成さんの人となり、といふか、その生き方にひかれました。

影印本の、『雨月物語』と『秋成狂歌集』(古典文庫)を手に入れてあつたので、早速讀よみはじめましたが、ゆつくりにしても讀み進むことができるんです。くづし字を學び始めて一年ちよつとですけれど、うれしいですね。

さう、それと、手もとに、『天理圖書館善本叢書 秋成自筆本集』(八木書店)があつたので見ましたら、中に、「安々言(やすみごと)」といふ、漢文調の文章があつたんです。それは、解説によると、「宣長の国粋主義的な外交史論 『馭戎慨言』 を全面的に批判している」著作だといふのです。いやあ、これは讀まなくてはいかんと思ひました、が、ちよつとむずかしさうです。 

 

今日はまた、明後日に迫つた「中仙道を歩く」の豫習をおこなひました。いきなり參考書がふえましたから、めんどうなんですが、それぞれ敎へられるところがあつて、讀めば讀むほど樂しみが增します。 

 

今日の寫眞:古本市でみつけた、「楢川ブックレット」の二册。前にあるのは、『贄川関所』にはさまつてゐたしをり。それと、「安々言」の冒頭と『新潮古典文学アルバム 上田秋成』。

 


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